エラベノベル堂

ワンピースの向こう側

全年齢

小説ID: cmpfis80e02he01mtpcyb2cgq

6章 / 全10

ワンピースの向こう側 の小説画像

駅前の大型ショッピングモールは、土曜の午前だというのにもう人で満ちていた。ガラスの自動扉が開くたび、外の空気と買い物客のざわめきが流れ込んでくる。その入口で隼斗が待っていると、少し遅れて若菜が現れた。 「……来た」 思わず声が漏れる。今日の若菜は、またひと目で分かるくらい気合いが入っていた。大人びた色の上着に、少しだけ背伸びした靴。髪もきれいにまとめられていて、本人なりに完璧を目指したのが伝わってくる。なのに、いざ隼斗と目が合うと、その表情が一気に固くなった。 「な、なに、その顔」 「いや。ちゃんと来たなって」 「当たり前でしょ」 言い返しながら、若菜は耳まで赤い。隼斗はその様子を見て、昨日までの迷いを思い出した。だから今日は、はっきりさせると決めていた。 「若菜」 真面目な声で呼ぶと、彼女はびくっと肩を震わせる。 「その服も似合ってるし、無理に気を張らなくていい。でも、一個だけちゃんと言う」 「な、なに」 「俺、引っ越すなんて話、ないから」 人の流れが一瞬だけ遠くなる気がした。若菜は目を丸くして、そのまま固まる。 「……ほんとに?」 「ほんとに。そんな予定もないし、誰かに言った覚えもない」 「だって、みんなが……」 「だから、そこが噂だろ。大人の話が混ざっただけで、俺自身の話じゃない」 若菜は唇を開きかけて、それから何度も閉じた。自分がどれだけ先走っていたか、今さら思い当たったみたいだった。隼斗は続けて、少しだけ言葉をやわらげる。 「心配してくれたのは嬉しい。でも、確かめもせずに背伸びしすぎだ」 「……うるさい」 返事は弱い。けれど、さっきまでの硬さは少しずつほどけていく。若菜は周りの視線を気にして、視線を落としたまま小さくつぶやいた。 「だって、変な服でも着ないと、見てくれないかと思った」 その一言に、隼斗は息をのむ。若菜は顔を真っ赤にして、慌てて言い足した。 「ち、違う。そういう意味じゃなくて、その……」 「いや、十分伝わった」 「うわ、最悪」 そう言いながらも、彼女の口元には少しだけ力の抜けた気配が戻っていた。人混みの中で立ち尽くしたまま、二人は顔を見合わせる。若菜の赤い頬と、隼斗の真面目な目がぶつかって、どちらからともなく視線を逸らした。 「とにかく、今日は普通に行くぞ」 「……普通ってなに」 「普通は普通だよ。まず落ち着け」 「落ち着いてるし」 「全然」 「むかつく」 そう返しながらも、若菜は少しだけ笑っていた。隼斗はその笑い方を見て、ようやく胸のつかえがひとつ下りるのを感じる。まだ完全には解けていない。けれど、誤解の中心にあったものが、噂と不安だっただけだと分かった今、二人の間にはさっきまでより確かな空気が流れていた。 モールの奥から、朝の買い物客の足音がいくつも重なって響いてくる。若菜はその音に紛れるみたいに、こっそり袖口をつまんだ。 「……ねえ、隼斗」 「ん」 「次からは、そういうの先に言って」 「そうだな」 「ほんとに?」 「ほんとに」 今度は、若菜が少しだけ安心した顔をする。隼斗はその顔を見て、真面目に頷いた。噂を否定するためにここへ来たはずなのに、どうやら本当に伝えるべきだったのは、そんな簡単なことだったらしい。

6章 / 全10

TOPへ