フードコートのざわめきは、昼どきの熱気でひときわ大きかった。トレーを置く音、飲み物の氷が鳴る音、何人もの会話が重なって、窓際の席まで薄く流れてくる。隼斗の向かいで、若菜は注文した軽食を前に、さっきからフォークを持ったまま固まっていた。 「……食べないのか」 「食べるよ」 そう言いながらも、若菜は目を合わせない。朝までの気合いはどこへ行ったのか、耳の赤みだけがまだ残っている。 隼斗は水を一口飲んで、それから静かに言った。 「さっきの続き、ちゃんと聞く」 若菜の肩が小さく跳ねる。 「何の続き」 「なんで、あんなに引っ越しの噂を信じたのか」 その問いに、若菜はしばらく黙った。指先で紙ナプキンを押さえ、ようやくぽつりとこぼす。 「だって、みんなが同じこと言うから」 「みんなって、誰だよ」 「近所の人とか……店で立ち話してるの、聞こえたし」 隼斗は目を瞬かせた。たしかに最近、進路や家の都合を気にする大人たちが、半端なところだけを拾って話していたのを思い出す。 「俺が進路のことで考えてるって話と、誰かの家の事情が混ざったんだろ。それで、いつの間にか引っ越しみたいに膨らんだだけだ」 「ほんとに、それだけ?」 「それだけ」 即答すると、若菜はやっと息を吐いた。 「……じゃあ、私、すごく回り道した?」 「かなりな」 「うるさい」 文句は出ても、声は弱い。隼斗は少しだけ笑って、続けた。 「でも、信じた理由が分かったから、もう責めない」 若菜は驚いた顔をして、それから視線を落とした。 「だって、怖かったんだもん」 「何が」 「急に遠くへ行っちゃうの、嫌だった」 その言葉は小さくて、だけど妙に重かった。隼斗は箸を置き、自分の中で何かが鈍く痛むのを感じる。 「……悪かった」 「え」 「俺も、ちゃんと話してなかった。進路のことを聞かれて、考えてただけなのに、若菜には心配かけた」 若菜は目を丸くしたまま、しばらく固まっていた。やがて、困ったみたいに笑う。 「隼斗が悪い」 「そこに戻るのかよ」 「戻るよ。だって、平気そうな顔でいるから」 その一言に、隼斗は苦笑するしかない。自分はただ何気なくしていただけの顔が、彼女には噂を本物に見せていたのだ。 「次からは、変に隠すのやめる」 「ほんとに?」 「ほんとに」 「……なら、私もちゃんと聞く」 その返事はまだ少し照れていたけれど、さっきまでの固さはもうなかった。若菜はようやくフォークを手に取り、一口だけ食べる。すると、ほんの少しだけ肩の力が抜けた。 隼斗はその様子を見て、胸の奥で何かが静かにほどけていくのを感じる。噂が先に走り、気持ちが置いていかれただけだったのだ。なのに、目の前の若菜はずっとひとりで焦っていた。 「なあ、若菜」 「なに」 「心配したなら、次はそのまま言え」 「……言えるわけないでしょ」 「なんで」 「だって、恥ずかしいし」 即答して、若菜は唇を尖らせた。隼斗は思わず吹き出しそうになりながら、窓の外へ視線をやる。買い物客の波は相変わらず途切れない。それでも、もうさっきみたいなざわつきはなかった。 若菜は飲み物のカップを両手で包み、少しだけ安心した顔で隼斗を見た。 「……でも、ほんとに引っ越さないなら、よかった」 「だから、しないって」 「うん」 その短い返事のあと、二人の間に落ちた沈黙は、もう気まずいものではなかった。隼斗は気づく。心配させたのは、噂だけじゃない。自分が何も言わずにいたことも、彼女を不安に追い込んだのだ。 「今度からは、ちゃんと言う」 「約束だよ」 「おう」 若菜は小さくうなずいて、ようやくスプーンを置いた。フードコートの喧騒の中で、二人だけが少し遅れて同じ方向を向き始めていた。
ワンピースの向こう側
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