「花」 章太が名前を呼ぶと、花はびくりと肩を震わせた。手水舎を離れてからの数歩が、やけに長い。喧騒はもう遠く、境内の空気だけが静かに張りつめている。 「な、なに」 「ここで、ちゃんと終わらせよう」 花は息を止めた。終わらせる、という言葉が怖いのに、逃げたいとも思えなかった。さっきから胸の奥で揺れていたものを、これ以上見ないふりはできない。 「終わらせるって、何を」 「誤魔化すのを」 章太の声は落ち着いていた。花はそれがいちばんずるいと思った。自分だけが慌てているみたいで、悔しいのに、少し安心してしまう。 「花が、俺のことをどう思ってるのか」 「……そんなの」 言いかけて、花は唇を噛む。すぐ隣で、見えない誰かが面白がる気配を漂わせた気がした。けれど今は、茶化す声より、章太の真っすぐな目のほうがずっと強かった。 「言ったら、戻れないかもしれないよ」 「戻りたいのか」 「わかんない」 正直な答えだった。花は俯き、浴衣の袖を握る。好きだと認めるのは怖い。けれど認めないまま、このまま幼馴染のままでいるほうが、もう苦しい。 「章太は、平気なの」 「平気じゃない」 即答されて、花は顔を上げた。 「さっきからずっと、落ち着いてるふりしてるだけだ」 章太は少しだけ苦く笑う。 「でも、花が逃げないなら、俺も逃げないって決めた」 その一言で、胸の奥が熱くなる。花はもう、何も隠せない気がした。 「……私、章太のことが」 言葉が喉で止まる。だが今度は、見えない気配が優しく背中を押した。ほんの一押しだけ。それだけで、花は目を閉じて続ける。 「ずっと、好きだった」 空気が静まり返った。提灯の灯りさえ遠く感じる。 章太は驚いたように目を見開き、それからゆっくり息を吐いた。 「俺もだ」 短い返事だったのに、花の全身の力が抜けた。 「……ほんとに」 「ほんとに」 章太は一歩近づく。逃げ場を塞ぐほどじゃない、けれど確かに距離を縮める歩幅だった。 「花が、俺の隣にいてくれるなら」 章太の声が少しだけ低くなる。 「これからは、ちゃんと一緒に歩きたい」 花は目を潤ませたまま、こくりとうなずいた。 「……うん。私も」 「約束、していいか」 「何の」 「今夜みたいに、ちゃんと向き合うこと」 花は笑ってしまった。泣きそうなのに、笑ってしまう。 「そんなの、当たり前じゃない」 「当たり前にするのが、一番むずかしい」 その言葉に、花は何も返せなかった。ただ、章太の手がそっと自分の手に触れるのを受け止める。強く握られるわけではないのに、離れられない気がした。 ふいに、背後でくすくす笑う気配がした。 「やっと言えたね」 花は振り向かない。振り向かなくてもわかる。最後までいたずらを見届けていた存在が、満足したように遠ざかっていくのを。 章太もそれに気づいたのか、花の手を握ったまま空を見上げた。 「……行ったのか」 「たぶん」 花は少しだけ照れた声で答える。 「でも、変な神様だったね」 「だな」 章太が苦笑すると、花もつられて笑った。怖かったはずの夜が、いつの間にか新しい約束の夜に変わっている。 二人は手をつないだまま、本殿前の静けさの中で、まだ少しだけ言葉を探し続けた。
神様の告白
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