エラベノベル堂

約束の一本

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3章 / 全10

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試合をする場所が決まったと聞いたとき、美桜は鼻で笑った。人気のない柔道場だなんて、わざわざ静かな舞台を選ぶあたり、余裕のつもりか。そう思いながらも、胸の奥は妙に落ち着かなかった。 「遅いじゃない」 扉を開けて入ってきた颯人に、美桜は先に言った。畳はまだ誰にも踏まれていないように整っていて、空気がひんやりしている。見ているのは、部の記録係だけ。いつもの賑やかさはなく、二人の呼吸だけがやけに近く感じられた。 颯人は道着の襟元を直しながら、軽く頭を下げた。 「待たせました」 「別に。早く始めたいだけ」 「同じです」 その落ち着いた返事に、むっとする。余裕ぶって。そう言い返そうとした瞬間、記録係が小さく合図した。 「礼」 美桜は背筋を伸ばし、深く頭を下げる。次の瞬間にはもう前に出ていた。 「いくよ!」 掛け声と同時に踏み込む。手を伸ばし、組み合うより早く間合いを詰めた。今日こそは勢いで押し切ってやる。そう決めていたのに、颯人は慌てなかった。 彼は真正面からぶつからず、受け止めるようにして美桜の力を逃がす。強引に止めるのではない。こちらの力が空回りする角度を、静かに作ってくる。 「っ、なにそれ」 「急ぎすぎです」 「うるさい!」 美桜は顔をしかめて、もう一度踏み込む。けれど、そのたびに颯人は同じだけ、いや、それ以上に冷静だった。少しずつ、呼吸の速さまで読まれている気がする。気づけば主導権を握っていたはずの側が、足場を探している。 「……調子に乗らないで」 「乗っていませんよ」 「絶対うそ」 颯人の手が一瞬だけ軽く動き、美桜の体勢がわずかに揺れる。派手な力ではないのに、畳の上で自分の重さが思い通りにならない。その感覚が、じわじわと腹立たしかった。 記録係のペンの音だけが、やけに静かに響く。美桜は歯を食いしばり、もう一度向かい合った。まだ負けてない。そう言い聞かせるほど、相手の落ち着きが目につく。 颯人はまっすぐ美桜を見ていた。 「まだ、始まったばかりです」 その言葉が、挑発なのか事実なのか、すぐにはわからなかった。美桜は悔しさを飲み込み、握った指に力を込める。 「言ったね。じゃあ、ここからが本番だから」 そう返した声は、思ったより少しだけ熱を失っていた。畳の上の静けさが、ふたりの距離をいっそう近くしていく。

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