「もう一回、勝負して」 倉庫の片付けを終えて戻った柔道場で、美桜は畳の上に立ったまま、まっすぐ颯人を見た。勝ち気な声のはずなのに、今夜は少しだけ違う。胸を張るためではなく、確かめたくて言っている。そんな自分が、少しだけ悔しかった。 颯人は道着の袖を整えながら、静かに顔を上げる。 「再戦、ですか」 「そう。前みたいに誤魔化さないでよ。今度は、私の弱いところを知りたい」 言ったあとで、美桜は自分の頬が熱くなるのを感じた。勝つための言葉じゃない。負けたくないだけの意地でもない。弱点を知る、なんて素直すぎて、自分でも信じられない。 「……笑わないの」 「笑いません」 「ほんとに?」 「本気なら、なおさらです」 その返事に、美桜は少しだけ唇を結んだ。腹立たしいほど落ち着いているのに、今はその静けさが前よりも嫌ではない。 記録係の代わりに、傍らで見守っていた部員が小さく息を呑む。美桜はその気配に気づきながらも、もう引けなかった。 「私、前は悔しいだけだった。でも今は違う。あんたに勝てなくてもいいから、何が足りないか知りたい」 「なるほど」 颯人は短く答えた。さっきまでのように助言を並べるのではなく、彼女の言葉をそのまま受け止めるように、視線をまっすぐ返す。 「それなら、真剣にやりましょう」 「ええ、望むところ」 美桜は一歩踏み込んだ。初手から勢い任せではない。相手の肩の動き、足の置き方、呼吸の揺れ。今まで見えていなかったものを、ひとつずつ拾おうとする。颯人もまた、同じだけ静かに構えた。 組み手が触れた瞬間、畳の空気がきゅっと締まる。 「来てください」 「言われなくても」 美桜は腕に力を込めた。けれど、今度は力だけに頼らない。颯人の重心の移り方を見て、わずかに角度を変える。すると、相手の動きが少し遅れて見えた。 「……っ」 「いいですね」 「褒めるの早い!」 「見ていて、わかります」 その一言が、なぜかうれしかった。美桜はすぐに表情を引き締める。褒められて浮かれるなんて、いつもの自分らしくない。でも、今はそれでいい気がした。 何度か崩され、何度か立て直す。そのたびに、自分の癖がひとつずつ見えてくる。焦ると肩に力が入ること。前に出るとき、視線が一瞬だけ相手の足元から外れること。知りたかったものが、ちゃんと形になっていく。 「美桜さん」 「なに」 「今は、勝ちに行かなくていい顔をしています」 「……うるさい」 否定したのに、口元は少しだけ緩んだ。 そのとき、柔道場の入口からかすかな足音がした。美桜がそちらへ目を向けると、誰かの気配がすぐに消える。 「今の、誰?」 問う声は、まだ畳の上の熱を残していた。
約束の一本
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