エラベノベル堂

瓜二つの部下

全年齢

小説ID: cmplg47ry0o9a01pktdy8wecu

3章 / 全10

瓜二つの部下 の小説画像

昼休みの店内は、会社の廊下とは違うざわめきで満ちていた。湯気の立つ定食の匂いに紛れて、箸が触れ合う音と、誰かの笑い声が弾む。俺は入口近くの席で、皿の上の焼き魚をどう切るべきか迷っていた。 「一真さん、こっち座りません?」 美桜が手を振る。いつの間にか、同僚たちの輪にすっと混ざっている。さっきまで社内で見ていたのと同じ顔なのに、こうして雑談の中心にいると、さらに自然だった。 「新人なのに、もう馴染んでるなあ」 誰かが笑うと、美桜は肩をすくめた。 「皆さんが話しやすいだけです」 「いやいや、空気読むの上手すぎでしょ」 「褒め言葉として受け取っておきます」 ころころとした笑いが起きる。俺も適当に口元をゆるめたが、美桜の視線がこちらに来た瞬間、なぜか少しだけ温度が変わった気がした。ほかの同僚には向ける柔らかな笑顔なのに、俺に対してはどこか一歩引いた、丁寧すぎる笑みになる。 「そういえばさ」 隣の先輩が箸を止めた。 「例の引退した女優さん、昨日ニュースになってたよね。美桜ちゃん、知ってる?」 美桜は一拍だけ置いて、それからあっさり頷いた。 「少しだけ。でも、長く見られるってすごいことですよね」 「だよねえ。あの人、ほんと印象強かったし」 そこで俺の胸が小さく鳴る。だが、美桜はそれ以上踏み込まず、話題を軽く受け流した。 「それより、一真さんって普段、仕事の優先順位どう決めてます?」 「え?」 突然こちらへ矢が飛んできたみたいで、俺は箸を止める。 「資料が重なったとき、どこから片づけるのが正解なのかなって。先に数字を見るべきか、先方の意図を固めるべきか」 「いや、それは案件によるけど……」 「じゃあ、一真さんならどうします?」 逃げ道を塞ぐ聞き方だった。だが嫌な感じはしない。むしろ、ちゃんと先輩として見られているだけなのだと思えば、少し肩の力が抜ける。 「俺なら、まず締め切りが近いものからだな。次に、相手が見て最初に迷いそうな部分を直す」 「なるほど」 美桜は素直にメモを取る。 「そういう順番の組み方、勉強になります」 その指先が紙の端を軽く押さえる癖まで、妙に記憶を引っ張った。似ているだけだ。そう何度も言い聞かせる。声も、仕草も、たまたま重なっただけ。そう考えれば、食堂で見せる自然な笑顔にも説明はつく。 「一真さん、どうかしました?」 顔を上げると、美桜がこちらを見ていた。彼女の目は静かで、まっすぐだった。 「いや、別に」 「ならいいですけど。さっきから、少し考え込んでたので」 気づかれていたらしい。俺は曖昧に笑って、焼き魚をひと口だけ崩した。熱い。妙に熱いのは、湯気のせいだけじゃない。 美桜は同僚たちの会話に戻り、また軽やかに笑った。そのたびに、視界の端で揺れる髪や、言葉の前にわずかに息を置く癖が、あの人の記憶を何度も刺激する。 違う。似ているだけだ。 そう結論づけるほど、逆に落ち着かない。俺は定食の味をほとんど覚えないまま、彼女の横顔を追ってしまう。すると不意に、美桜が何でもない顔でこちらを見た。 「先輩、午後の進め方、あとで少し教えてください」 その呼び方に、胸の奥がまた小さく揺れる。俺は箸を置き、どうにか頷いた。 「ああ。いいぞ」 美桜は満足そうに笑う。けれどその笑みが、なぜだろう、ほんの少しだけ俺だけに向けられたものに見えて、俺はますます視線を外せなくなった。

3章 / 全10

TOPへ
瓜二つの部下 | エラベノベル堂