終電のアナウンスが、もう遠い世界の出来事みたいに途切れていた。窓の外は雨で白く濁り、街の灯りがぼんやり滲んでいる。オフィスには人の気配がほとんどなく、キーボードを打つ音だけがやけに大きい。 「……まさか、ここまで残るとはな」 俺が肩を回しながら呟くと、隣の席で美桜が顔を上げた。 「仕方ないです。資料、あと少しで終わりますし」 「終電、逃したしな」 「先輩が無理に急がなければ、もっと早く終わってましたよ」 さらりと言われて、俺は苦笑するしかない。確かに、今日は妙に手が止まっていた。疲れのせいだけじゃない。隣にいる彼女の存在が、いつもより近く感じるせいだ。 コピーを取りに立った美桜が、戻ってきた拍子に書類の束を軽く整えた。その動きが妙に滑らかで、見慣れたもののように思えた。俺はふと、胸の奥に引っかかっていた感覚をそのまま口にしてしまう。 「……なんか、どこかで見たことがある展開だ」 その瞬間、美桜の手が止まった。 カサ、と紙が一枚だけ机に落ちる。彼女は何も言わずにそれを拾わず、ゆっくりとこちらへ視線を向けた。 「どこで、ですか」 「いや、別に深い意味じゃ」 言い終える前に、美桜が立ち上がる。椅子の車輪が小さく鳴り、彼女はわざとらしいほど自然に俺のそばへ寄ってきた。近い。雨の匂いのする窓際の空気まで、一気に狭くなる。 「先輩、さっきから考えすぎです」 「そうか?」 「そうです」 彼女は笑うでもなく、少しだけ首を傾けた。その立ち方が、妙に落ち着いて見える。資料室で見せたあの余裕が、また同じ熱を帯びて戻ってきたようだった。 「ほら、ここ」 美桜は机上の書類を指で揃えながら、俺の視線の届く位置にそっと並べ直す。次に、椅子の角度をほんの少し変えた。まるで、俺の目に映る景色を整えるみたいに。 「まだ、終わってませんよ」 「ああ……そうだな」 なのに、頭の中ではさっきの一言が何度も反響していた。どこかで見たことがある展開。俺がそう言うより先に、彼女がその流れを知っていたみたいな反応だった。 「先輩」 「ん」 「疲れてるなら、少しだけ顔を上げてください」 言われるまま視線を上げると、窓の雨粒の向こうに、美桜の横顔が淡く浮かんだ。近い距離なのに、触れられそうで触れられない。そのくせ、息づかいだけははっきり届く。 「……お前、ほんとに慣れてるよな」 「何に、ですか」 「こういう空気に」 美桜は答えず、ただ書類の角を指先で軽く叩いた。その沈黙が、なぜか妙に意味ありげに思えてしまう。俺は笑おうとして、うまく笑えなかった。 雨音が、窓を細かく叩き続けている。ほぼ無人のオフィスで、二人分の影だけが机の上に重なっていた。
瓜二つの部下
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