「何者って、ひどいですね」 美桜は笑った。けれど、その笑い方が妙にやわらかくて、俺はますます言葉を失った。 「だって、ここまで来ると普通じゃないだろ」 「普通じゃない、ですか」 彼女は書類の端をそっと揃えながら、視線だけをこちらへ流す。 「先輩がそう思うなら、そうなのかもしれませんね」 曖昧すぎる返事に、胸の奥がざわつく。違う、と否定したいのに、さっきから積み重なる反応のひとつひとつが、記憶の奥にある誰かと重なって離れない。 「そんな顔しないでください」 「どんな顔だよ」 「今にも答えを決めつけそうな顔です」 「決めつけたいわけじゃない」 「じゃあ、まだ迷ってるんですね」 美桜はそう言って、俺の前に置かれた資料を指先で軽く叩いた。たったそれだけの動きなのに、妙に場慣れしていて、まるで昔からこの空気を知っているみたいだった。 給湯室の前へ続く静かな通路は、蛍光灯の白い光だけが淡く伸びている。人の気配が消えたぶん、雨音も遠くなって、二人の声だけが小さく響いた。 「先輩、少し肩の力を抜いたほうがいいです」 「お前が言うな」 「私は平気ですから」 その一言に、思わず息を呑む。平気、という言葉が、どうしてだろう、妙に似合いすぎた。あの人の横顔も、こんなふうに平然としていた気がする。いや、気がするじゃない。もっと確かな何かが、喉の奥まで上がってきている。 俺はもう一度、本人ではないはずだと自分に言い聞かせた。新入社員で、仕事ができて、少し意地悪で、ただそれだけの後輩。そう考えれば説明はつく。つくはずなのに。 美桜がふっと足を止めた。俺もつられて止まる。二人の影が通路の床に並び、近すぎる距離で揺れる。 「先輩」 「……何だ」 「今は、どっちが大事ですか」 「は?」 「私の正体と、ここでの続き」 からかうような声だった。なのに、目だけは冗談じゃなかった。俺は言い返す前に、自分の中で何かがほどけていくのを感じる。知りたい気持ちはある。けれど、それ以上に、この瞬間を壊したくない気持ちが勝ってしまう。 「……続き、だな」 そう答えた自分に、少しだけ驚いた。 美桜は満足そうに目を細めると、何事もなかったみたいに歩き出す。俺もそのあとを追う。書類よりも、素性よりも、いま目の前にいる彼女の呼吸のほうが、ずっと現実に近かった。
瓜二つの部下
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