「先輩、休憩室に行きませんか?」 陽葵が首を傾げ、誘ってきた。昼休みを告げるチャイムが鳴り響いた直後だった。正樹は頷き、彼女と並んで歩き出す。 「ありがとう、ちょうど喉が渇いてたところなんだ」 「私、コーヒー淹れますね」 休憩室に入ると、陽葵はサイドボードのコーヒーマシンに向かった。正樹はテーブルの椅子に座り、窓の外を眺める。都会のビル群が青空に突き刺さっている。 「先輩、ブラックでいいですか?」 「うん、それでいいよ」 「了解です」 マシンが唸りを上げ、芳醇な香りが漂い始める。正樹は視線を戻した。彼女の背中が、流れる黒髪が、やはりどこか見覚えがある。湯気と共にマグカップを両手で持って、陽葵が近づいてきた。 「どうぞ」 差し出されたカップを受け取ろうとした、その時だった。 「あ、熱くなってますよ、気をつけて」 正樹の手が空中で止まった。その言葉。その言い回し。その口調の微妙なニュアンス。全てが、彼の記憶の底に刻まれた映像と完全に一致した。——あの作品の冒頭シーンだ。正樹の脳裏に鮮明な映像が蘇る。オフィスを模したセット。新人社員役の彼女が先輩にコーヒーを淹れる場面。そして渡す際の、あの台詞。その言葉をきっかけに、二人の距離が急速に縮まっていく展開。正樹は何度そのシーンを見返したことか。 「先輩?どうかしましたか?」 陽葵の不思議そうな声で、現実に引き戻された。 「い、いや、何でもない。ありがとう」 彼は慌ててマグカップを受け取った。指先に触れた熱さが、震える手に伝わる。 「顔色、少し赤いような……熱くないですか?」 陽葵が心配そうに顔を覗き込んでくる。その距離の近さに、正樹は息を詰めた。 「大丈夫、ただちょっと暑かっただけだから」 「そうですか?無理しないでくださいね」 彼女は無邪気に微笑み、向かいの席に座った。正樹はマグカップを口元に運ぶ。香りが鼻腔を満たすが、味はよく分からなかった。心臓の音がうるさい。偶然だ。ただの偶然に決まっている。でも、あの台詞。あのタイミング。あの表情の翳り。全てが重なる。正樹は湯気の向こうで揺らぐ陽葵の顔を見つめた。彼女は何かを知っているのだろうか。それとも、これもまた無意識の再現なのか。 「先輩、コーヒー、美味しいですか?」 「ああ……うん、美味しいよ」 正樹は曖昧に頷いた。午後の業務が始まるまでの残り時間、彼は必死に平静を装いながら、湯気の立ち上る黒い液体を見つめ続けた。
瓜二つの部下
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