夜が深まり、城の石壁は昼間よりもずっと冷たく沈んでいた。私は一人で歩いていたつもりだったが、背後で小さな足音や羽音や、何かを引きずる音が途切れない。振り返るまでもない。あの訓練のあとから、魔物たちは妙に私の後をついて回るようになっていた。 「魔王様、どこへ行くんです?」 「静かにしなさい。騒ぐな」 「静かにしてますよ。たぶん」 たぶん、ではない。私は舌打ちしそうになるのをこらえ、城の奥へ続く扉の前で足を止めた。廊下の空気が、ここだけ少し違う。湿った冷気の底に、古い鉄の匂いが混じっている。今まで何度も通り過ぎたはずなのに、今夜は妙に気になった。 「この先は何がある」 「さあ?」 「知らないんですか」 「知ってたら、もっと前に気づいてます」 軽口に苛立ちながらも、私は扉に手を当てた。すると、かすかな震えが指先に返ってきた。魔力は薄い。だが、扉の向こうには何かある。城の底に沈んだ、見えない棘のような気配だ。 「……おかしい」 「魔王様がそう言うなら、きっとおかしいんでしょうね」 「失礼ね」 鍵穴は錆びついていたが、力を込めるほどでもない。私は横にある壁の隙間を探り、冷えた石の一枚を押した。かちり、と乾いた音がして、扉の封がほどける。すると、奥の暗がりから細い風が流れ出してきた。風というより、古い息吹に近い。 「うわ、なんか嫌な感じします」 「同感だ。だが戻るつもりはない」 先に進むと、回廊は想像以上に長かった。天井は低く、壁には古い紋様が半ば削れたまま残っている。私は一つひとつを目で追いながら歩いた。勇者の顔を思い出すたび、胸の奥で怒りが燃える。あいつが私をここまで落とした。あいつを倒す。そのはずだった。 なのに、壁の模様はまるで別の話を語っていた。魔王の力を封じるための線。城を守るための印。誰かが何層にも重ねた手入れの痕跡。私の知らない場所で、私の城はずっと何かを抱え込んでいたらしい。 「魔王様、これ見てください」 「触るな」 遅かった。好奇心に負けた魔物の一体が、壁のくぼみに指を入れた途端、奥で鈍い音が鳴った。私は反射的にその腕を引っ張る。次の瞬間、天井の隙間からほこりが落ち、回廊の先で小さな光が瞬いた。 「わっ」 「だから触るなと言ったのよ」 「でも、開きました」 「自慢することじゃない」 光の先には、石台があった。台座の上で、黒ずんだ輪のような呪具が沈黙している。見た瞬間、背筋の奥が冷えた。あれはただの道具じゃない。城の空気そのものを歪める、古い仕掛けだ。 私は息を呑み、そっと近づいた。怒りだけで走ってきたはずなのに、足取りは妙に慎重になる。封じられているのは勇者への呪いだけではない。もっと昔から続く、城そのものの秘密だ。 「……誰が、こんなものを」 答えは返らない。けれど、回廊の闇の中で、魔物たちのざわめきだけが次第に大きくなる。面白がるような声、怯えるような声、でも誰も離れようとはしない。 「魔王様、これ、調べます?」 「当たり前でしょう」 「じゃあ、手伝います」 私は呪具を見下ろした。勇者を倒す。それだけでは終わらない。城の中に、まだ知らない相手がいる。復讐の矛先は、どうやら一人では済まないらしい。 「……面倒ね」 そう呟くと、背後で誰かが妙に嬉しそうに笑った。
呪われた女魔王
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