玉座の間は、夕暮れの色を吸って静かに沈んでいた。窓の外で空が橙から紫へ移ろうたび、崩れた石の影が長く伸びる。私は古文書を膝の上に開いたまま、最後の一節を何度も指でなぞっていた。 「……まだ、ここが読めない」 背後で控えていた魔物の一体が、こわごわ声を出す。 「魔王様、そこは難しいんですか」 「難しいのではない。書き方が嫌らしいのよ」 苛立ちを押し殺して、私は息を吐いた。勇者への呪い、その出所、城の奥に残る歪み。ここまでの断片はつながっている。だが、この最後の文だけが、まるで答えを隠すためにわざと回りくどく書かれていた。 私は声に出して読み直す。 「封は支配の完成ではない。魔王として立つ者のみ、未完の縫い目を断つことができる、か……」 「未完?」 「そうだ。完全に閉じるための封印じゃない。あえて、破れる余地が残されている」 魔物たちがざわめいた。 「じゃあ、今までの呪いは失敗作なんですか」 「違う。たぶん、最初からそういう作りだ」 私は古文書を閉じずに見下ろした。胸の奥が、妙に冷たい。勇者に奪われたものを取り戻したい。ただそれだけで突き進んできたはずなのに、その願いの先にある言葉が、思っていたよりずっと重い。 魔王として立つ者。 威圧でも、怒りでもない。敗北の残骸を抱えたまま、それでも魔王だと名乗れる何かが必要だと言われている。 「……冗談じゃない」 口ではそう言いながら、私は笑い飛ばせなかった。古文書の文字は淡くかすれ、最後の一文だけが妙に鮮明だ。まるで、読む者の返事を待っているみたいに。 「魔王様」 「何」 「それって、勇者を倒すだけじゃ足りないってことですか」 私は少し黙った。門前で見せつけられたあの視線。中庭で整った隊列。城内に戻った静かな足音。全部を思い返すと、答えはもう半分ほど出ている気がした。 「足りないのかもしれないわね」 その瞬間、自分でも驚くほど素直な声が出た。 魔物たちが息を呑む。 「えっ」 「魔王様が、そんな」 「じゃあ、どうするんです」 私は古文書を閉じ、玉座の肘掛けにそっと置いた。まだ座るには早い。だが、立つ場所は見えた気がする。 「私は、もう一度選ぶ」 夕闇が広間へ落ちる。誰も動かない。誰も笑わない。 「勇者への復讐にしがみつくか、それとも、魔王としてやり直すか」 言い切ったあとで、自分の言葉に少しだけ腹が立った。こんな岐路を今さら突きつけられるなんて。けれど、逃げる気にはなれなかった。 魔物の一人が、恐る恐る言う。 「魔王様が決めるなら、私たちは……」 私は振り返らずに答えた。 「まだ決めない。けれど、次に勇者が来るまでには、答えを用意する」 そのとき、古文書の端が、かすかに風もないのにめくれた。私は目を細める。そこに隠れていた文は、もう読まなくても分かる気がした。
呪われた女魔王
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