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ラストワン

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9章 / 全10

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毛布の熱が、ゆっくりと肩から抜けていく。けれど寒さは、さっきほど刺さるものではなくなっていた。窓の向こうはまだ群青のままなのに、薄い明るさが確かに滲みはじめている。 「……夜明け、近いですね」 春菜が呟くと、健人は窓の方へ目を向けた。 「ほんとだ。気づかなかった」 「気づかなかった、って。ずっと起きてたくせに」 「そっちもな」 言い返して、二人は同時に小さく息を漏らした。笑った、というほどではない。だが、怒鳴り合っていた昨夜の同じ口から出たとは思えないほど、声は丸かった。 春菜は毛布の端を指でつまんだまま、これまでのことを思い返す。冷蔵庫の前でぶつかった朝も、洗面所で張り合った夕方も、電子レンジの音に苛立った夜も、全部、相手を追い払いたい気持ちばかりが先に立っていた。なのに本当は、相手がそこにいることを誰より気にしていたのだと、今なら分かる。 「境界線を守ることが、正しいと思ってました」 春菜は静かに言った。 「守らないと、全部ぐちゃぐちゃになる気がして」 健人は少しだけ肩を動かす。 「俺も似たようなもんだな。離れすぎるのが嫌で、余計に張り合ってた」 「……変ですね」 「変だな」 即答されて、春菜は目を細めた。 「でも、今はもう、境界線そのものが大事だったわけじゃないって分かります」 「何が大事だったんだよ」 春菜は一度だけ迷って、それから窓の外へ視線を戻した。 「安心して暮らせること、です」 健人はすぐに返さなかった。非常灯の淡い光が、二人の間の毛布を薄く照らしている。やがて彼は、少し掠れた声で笑った。 「それ、最初に言ってくれればよかったのに」 「言っても、あなたは聞かなそうでした」 「まぁな」 否定しないところが、妙に悔しい。けれど春菜は、もうその悔しさにだけ囚われていなかった。 毛布越しに、健人の肩がほんの少し近づく。触れる手前で止まる距離が、逆に落ち着く。春菜はそこで初めて、自分が離れたがっていたのではなく、離れたくないのをごまかしていたのだと気づいた。 「……健人さん」 「ん?」 「私たち、たぶん」 春菜は言いかけて、少しだけ息を吸う。 「もう、前みたいには戻れませんね」 健人は窓の外を見たまま、短く笑った。 「戻る必要あるか?」 その返事は、あまりに自然で、春菜は言葉を失った。胸の奥で何かが静かに形を変えていく。嫌いだと思っていた同居は、いつの間にか、いちばん目を離せない毎日になっていた。 やがて東の空の端が、ほんの少しだけ白む。春菜は毛布を握りしめたまま、その光を見つめた。隣にいる健人も、同じ方向を見ている。 同居の意味が、音もなく変わりはじめていた。

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