エラベノベル堂

透明な境界線

全年齢

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4章 / 全10

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昼休みの図書室は、校舎の中でそこだけ時間の流れが遅くなったみたいに静かだった。ページをめくる音すら遠慮がちで、窓際の席には薄い光が四角く落ちている。涼は借りた本を脇に置き、向かい合うより少し近い席に座る美咲を見た。 「ここ、落ち着くね」 「人が少ないからだろ」 「それもあるけど」 美咲はノートを開き、さらりと自分のページをこちらへ寄せた。涼も同じようにノートを見せる。机を挟んでいるのに、手を伸ばせばすぐ触れそうで、けれど実際には触れない。その距離が妙に気になった。 「涼って、字きれいだね」 「そうか」 「褒めてるのに、反応うすい」 「お前の方が大げさだ」 美咲は小さく笑った。涼は彼女の勉強ノートに目を落とす。端に残った書き込みは几帳面なのに、途中で何度も筆圧が変わっている。そこに、言葉にしきれない迷いのようなものを見た気がした。 「進路、もう決めてるのか」 「まあ、一応ね」 「一応、か」 「涼は?」 「まだ迷ってる」 「優等生なのに」 「関係ないだろ」 「あるよ。できる人ほど、先に決めてると思ってた」 涼は少しだけ考えてから答えた。 「決めてるように見せてるだけだ」 美咲が、ぱちりと瞬きをする。からかい半分の空気が、ふっと薄れた。 「意外」 「そんなに驚くことか」 「うん。涼って、ちゃんとしてるから」 その言い方が、なぜか胸に残る。涼は視線を落としたままページをめくった。 「家のことは、どうなんだ」 「家?」 「進路の話、家族ともするんだろ」 美咲の指先が、ほんの少しだけ止まる。 「……うん。するにはするよ」 「そうか」 「でも、あんまり真面目には聞いてもらえない」 軽く言ったはずなのに、その声の奥に細い空白があった。涼は何かを言いかけて、やめた。励ますには近すぎて、流すには引っかかる。そんな顔を、彼女はしていた。 「私、明るいふりだけは得意だから」 美咲がそう言って笑う。けれど今の笑顔は、いつものように軽くはなかった。図書室の静けさが、かえってその隙間を際立たせる。 「ふり、っていうな」 「だって、ほんとだもん」 「本当でも、言い方があるだろ」 涼が低く返すと、美咲は少しだけ目を丸くした。 「涼、そんなふうに言うんだ」 「悪いか」 「ううん。なんか、うれしい」 その一言に、涼はまた黙った。うれしい、という言葉が妙にまっすぐで、逃げ場を失う。美咲はノートの端を指でなぞりながら、ぽつりと続けた。 「みんな、私が平気だと思ってるから」 「平気じゃないのか」 「さあ。よくわかんない」 曖昧に笑ったその横顔に、涼は初めて強く思う。彼女は誰にも見つからないまま、ずっとひとりで立ってきたのではないか、と。 明るく振る舞うのは慣れているのに、本当に気づいてほしいことほど、誰にも届いていない。そんな寂しさが、薄い紙越しに伝わるみたいだった。 「……お前、無理してるだろ」 美咲の肩がわずかに揺れる。 「え」 「全部とは言わない。けど、少し」 「それ、心配してる?」 「してる」 自分でも驚くほど即答だった。美咲はその答えを受けて、しばらく黙る。やがて、いつもの冗談めいた笑みを浮かべたが、そこには薄い影が残っていた。 「涼って、やさしいんだね」 「違う」 「違わないよ」 否定しようとして、できなかった。机の上に並んだノートの間で、二人の沈黙だけが静かに重なる。涼はそこで初めて気づく。彼女はただ明るいのではなく、その明るさの裏で、誰かに気づいてほしいと願っているのかもしれない。 窓の外の光が少し傾き、図書室の空気がわずかに色を変えた。美咲はノートを閉じずに、そのまま両手を置く。 「ねえ、涼」 「なんだ」 「今の、もう少しだけ見ててもいい?」 涼は答えず、ただ隣同士に並んだノートを見た。触れそうで触れない距離の向こうで、美咲のまなざしが静かに待っている。

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