エラベノベル堂

透明な境界線

全年齢

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5章 / 全10

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放課後の教室は、窓の外の西日だけが机の角を淡く照らしていた。ほとんどの生徒が帰ったあとで、空気は静かだったのに、涼はなぜか落ち着かなかった。美咲は自分の席でも廊下側でもなく、教室の中央に残ったまま、涼をまっすぐ見ている。 「まだ帰らないの?」 「お前こそ」 「ちょっと、確かめたいことがあるから」 「確かめる?」 美咲はうなずくと、涼の前まで来た。机を一つ挟んだ距離は、さっきまでのどの会話よりも狭く感じる。 「本当に見えているのか、確かめて」 「何をだ」 「私の言ってることが、本当かどうか」 涼は眉をひそめた。冗談の響きはない。美咲は少しだけ息を吸って、手を差し出してくる。 「触って」 「……それでわかるのか」 「たぶん。近いほど、って言ったでしょ」 涼はためらった。けれど、その指先が震えていないことに気づいて、余計に引けなくなる。そっと手を伸ばし、彼女の手のひらに触れた瞬間、胸の奥を何かが小さく叩いた。 言葉にならないのに、はっきりわかる。 試しているようで、本当は怖かったこと。笑っていても、誰かに拒まれる前に距離を取ってしまうこと。そして今、涼が逃げずに触れたことに、静かに安心していること。 涼は息を止めた。 「……見えたのか」 「見えた、というより」 美咲は視線を落としたまま、手を引かない。 「涼が、思ったよりずっと不器用なくせに、ちゃんと人を見ようとしてるのがわかった」 「不器用は余計だ」 「否定できないでしょ」 涼は口を閉じた。確かに、否定はできなかった。けれど、それ以上に、自分の中に広がった熱の正体をうまく言えない。 触れているだけなのに、相手の輪郭がやけに近い。美咲の強がりの下にある、細い寂しさまで伝わってくる気がした。そして同時に、涼自身の中にある、彼女を放っておけない感情も、隠しようがなかった。 「お前、そんな顔するんだな」 「どんな顔」 「安心した顔」 美咲はわずかに目を見開いて、それから、困ったように笑った。 「……だって、涼なら平気かなって思ったから」 その言葉に、涼の胸が静かに鳴る。平気かな、ではなく、平気だと信じたい、に近い響きだった。 「俺を試したのか」 「少しだけ」 「少しで済むか」 「済まないかも」 今度は二人とも、少しだけ笑った。けれど笑い終わったあと、空気はすぐに沈黙へ戻る。手のひらはまだ触れたままで、その沈黙は気まずさよりも、言葉にできない確かめ合いに近かった。 美咲は目を伏せたまま、ぽつりと言う。 「涼ってさ」 「なんだ」 「思ったより、やさしいね」 「だから違うって言っただろ」 「でも、そういうやさしさってあるよ」 涼は返せなかった。否定するには、もう遅い気がしたからだ。美咲もそれ以上は追わない。ただ、手を離さないまま、夕日の色が少しずつ机の上へ伸びていくのを二人で見ていた。 何かがはっきり変わったわけではない。けれど、触れたことで確かめてしまった事実は、静かに残る。互いに踏み込みきれないまま、それでも確かに近づいている。その距離の名前を、まだ誰も知らないまま。

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