エラベノベル堂

涙が溶ける場所

全年齢

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4章 / 全10

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廊下の窓から差し込む光は、昼を過ぎたあたりの鈍い金色で、石床の冷たさだけをやけにくっきり浮かび上がらせていた。エリナは隣を歩くアランの横顔をちらりと見て、昨夜の疲れがまだ残っているのを悟る。彼は何事もない顔をしていたが、そんな顔ほど信用できない。 「見すぎだ」 「自意識過剰よ」 「おまえが言うな」 その一言で、エリナの胸の奥に白い霧がふわりと広がった。思わず立ち止まりそうになる。まだ薄いのに、感情は隠せない。振り返った侍女が、彼女の周囲に滲む霧を見て目を丸くした。 「……大丈夫ですか」 「ええ、平気」 平気じゃないときの返事だったせいで、霧はさらに濃くなる。アランが小さく息を吐いた。 「その平気、全然平気じゃない」 「うるさいわね。殿下こそ、眉間の皺が酷いわよ」 その瞬間、彼の胸元から赤い熱が滲み、壁際の燭台の影を揺らした。近くにいた侍女たちが、揃って顔色を変える。 「怒ってる?」 「少しだ」 「少しであんなに燃えそうになるの?」 「おまえが煽るからだ」 言い返したいのに、エリナは口を閉じた。閉じたままなのに、白い霧は勝手に膨らんでいく。恥ずかしさと苛立ちが混ざって、足元を漂うそれは、まるで逃げ場のない吐息みたいだった。 侍女たちは視線を逸らし、互いに小さく頷き合う。誰も声は上げない。けれど、その沈黙がかえって刺さった。 私たちは、こう見えているのね。 エリナはそう悟って、胸の奥が冷えた。夫婦として並んでいるはずなのに、周囲には近づけない何かを抱えた異物にしか映っていない。 アランも同じことに気づいたらしい。赤い熱が一度だけ跳ね、それから少しだけ弱まった。 「……静かに歩け」 「あなたが先に言い返さなければいいのよ」 「無理だ」 即答されて、エリナは思わず吹き出しかけた。すると白い霧がふっと揺れ、侍女の一人が肩を震わせる。 「笑うな」 「笑ってないわ」 「今、笑った」 「あなたが変なことを言うから」 口論は些細だった。どちらが先に不機嫌になったのかも、もう曖昧だった。ただ、言葉を交わすたびに色が漏れ、漏れた色が周囲の視線を呼び寄せる。そのたびに、二人は逃げ道を失っていく。 やがてアランが足を止めた。前を行く侍女たちが気まずそうに距離を取る。 「周りが怖がっている」 「知ってるわ」 「知っているなら」 「知っていても、どうしようもないでしょう」 その返事に、白い霧が細く震えた。アランは彼女を見下ろし、いつもの冷たさよりもずっと低い声で言う。 「どうしようもない、か」 「ええ。私たち、少なくとも今は上手くやれてない」 赤い熱が、彼の胸のあたりで静かに揺れる。怒りではない。不安に近い色だった。 エリナは気づいてしまう。自分たちは今、夫婦として並んでいるのに、誰の味方にもなれていない。ただ、互いの感情を隠せず、周囲を気まずくさせる存在だ。 「……笑えるわね」 「どこが」 「こんなに丸見えなのに、まだ分かり合えてない」 アランは返さなかった。代わりに視線を落とし、少しだけ肩の力を抜く。そのわずかな隙に、赤い熱もまた薄くなる。 その沈黙が、妙に痛かった。 侍女たちが遠巻きに見守る中、エリナは自分の指先が冷えているのを感じた。孤立しているのは、敵だからではない。理解できないからでもない。感情が勝手に露わになり、近づくほどに他人を怯えさせるからだ。 アランも同じ結論に辿り着いたらしい。彼は一度だけ短く息を吐き、続けて言った。 「今日は、これ以上余計なことは言うな」 「同感よ」 けれど、その言葉さえ少しだけ重なって、白い霧と赤い熱が同時に揺れた。二人は顔を見合わせ、同じ孤独を見つけたような気分で黙り込む。 廊下の先で、誰かが戸を開ける音がした。エリナはそちらを見やり、今さらながら、次に何を話せばいいのか分からなくなる。アランもまた、何も言わずに立っていた。

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