エラベノベル堂

涙が溶ける場所

全年齢

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9章 / 全10

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礼拝堂の扉をくぐった瞬間、冷えた石の匂いが喉の奥に張りついた。中庭のざわめきは遠く、ここだけが夜に沈んでいる。天井の高い暗がりの中央で、古い紋章がぼんやりと鈍く光っていた。 「……これが、中心なのね」 エリナが呟いた途端、足元の白い霧がすうっと伸びた。次の瞬間、アランの胸元から赤い熱が噴き上がる。小さな灯ではない。呼吸をするたび、壁の影まで揺らすほど強い。 「待て、近づくな」 「無理よ。もう始まってる」 紋章が脈打つたび、霧と炎は互いを煽るように膨らんだ。さっきまで抑えられていたはずの感情が、ここではあふれ出る。怒りと不安と、言葉にできなかった願いまでが、礼拝堂の空気に混ざっていく。 「理解しようとするほど、強くなる」 アランが低く言った。エリナは目を見開く。 「何、それ」 「さっき気づいた。相手を知りたいと思うたび、呪いが深くなる。たぶん、そこが鍵だ」 「ふざけないで。じゃあ、わざと分からないままでいろって言うの?」 「違う。逃げるなってことだ」 その声に、炎が一度だけ激しく跳ねた。エリナは胸を押さえる。理解したい。なのに理解しようとすれば、また霧が濃くなる。その矛盾に、息が詰まりそうだった。 「私、あなたのことを知れば知るほど、怖かったのよ」 言ってから、エリナは自分でも驚いた。アランが、わずかに目を見開く。 「怖い?」 「冷たい人だと思ってたから。なのに、違った。壊れないために硬くしてただけだった。そんなの、納得がいかない」 白い霧が震えた。アランの炎も、一瞬だけ形を失う。 「俺だって同じだ」 「え?」 「おまえは強い王女だと思っていた。失敗しても前に出る、立派で、揺れない人間だと。だが違った。黙るしかなかっただけだ」 その言葉は、刺さるのに痛みだけでは終わらない。見抜かれた悔しさの奥で、エリナは妙に救われていた。 「……ひどいわね」 「事実だ」 「そういうところよ。ほんとに」 霧が礼拝堂の床を這い、炎が柱の影を赤く染める。二人は互いを責めるように睨み合い、けれど目を逸らさなかった。逃げない。それだけが条件だと、体の奥で分かっていた。 「守りたいって思うのも、駄目なの?」 エリナの声が揺れる。 アランは少しだけ沈黙してから答えた。 「駄目じゃない。だが、黙っていると伝わらない」 「じゃあ、言えばいいの」 「言うしかない」 その瞬間、紋章が強く光った。霧と炎が一気に巻き上がり、二人の輪郭を曖昧にする。けれど、エリナはもう怖くなかった。 「私、理解したいわ」 「俺もだ」 「怖くても?」 「怖いから言う」 アランの声に、赤い熱が静かに沈む。エリナも同じように、胸の霧を押さえ込まずに息を吐いた。すると紋章の光がひときわ脈打ち、礼拝堂の空気がふっと軽くなる。 まだ終わっていない。けれど、何かが確かに満ちた。 二人は同時に天井を見上げ、次に紋章へ視線を戻す。そこに刻まれた古い線が、今にも答えを示しそうで、示さないまま夜を深くしていた。

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