エラベノベル堂

ライバルは今夜、隣に座る

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5章 / 全10

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「見ないふりもしない」 その言葉が、やけに胸に残ったまま消えない。遥香は窓の外へ逃がしていた視線を戻し、健太の横顔を見た。蛍光灯の白さのせいで、いつもより少しだけ疲れて見える。なのに、その疲労を隠すみたいに背筋はまだ真っ直ぐだった。 「……偉そう」 「今さらだろ」 「そうだけど」 言い返しながら、遥香は机へ戻った。ミシンのある作業机の周辺は、糸くずと布端が散らばっていて、完成へ向かう途中の熱気がまだ残っている。健太も黙って隣に立ち、二人は肩が触れそうな距離で最終調整に取りかかった。 「こっち、少し詰める」 「待って。そこは私が見る」 「同時にやるとずれる」 「ずれない」 「その自信が怖いんだよ」 そんな軽口を交わしながら、遥香は細い糸を通す。指先がわずかにかすめた瞬間、妙な感覚が走った。相手の手の熱じゃない。もっと曖昧で、疲れや緊張が薄い膜みたいに流れ込んでくる。 「……なに、これ」 遥香が手を止めると、健太も同時に息を飲んだ。 「お前、今の感じたか」 「感じたって、何を」 「俺の、焦りみたいなの」 遥香は眉をひそめる。触れた指先から、落ち着こうとしているのに落ち着ききれない熱が伝わってきていた。次に自分のほうへ目を向けられた気がして、思わず口を結ぶ。 「……変な気分」 「こっちの台詞だ」 健太は苦笑したが、すぐに真顔へ戻った。遥香のほうから流れてきたのは、負けたくない、譲りたくない、ここで止まりたくないという、鋭い執念だった。さっき見えた青と灰色の奥にあった赤が、今はもっと近くに感じる。 「お前、まだそんなに気張ってたのか」 「悪い?」 「悪くはない。けど、無茶だろ」 「無茶しないと届かないことだってある」 その一言に、健太は黙る。遥香は自分でも驚くほど素直に続けた。 「この作品、絶対に最後まで崩したくないの。誰かに勝つためだけじゃない。私が私であるために、ちゃんと残したい」 健太は机に置かれた布地を見下ろした。そこには彼の手が加えたラインがあり、遥香の意地が縫い込まれている。 「俺もだ」 短い返事だった。でも、その短さがかえって重い。 「焦ってるのは、失敗したくないからじゃない。お前に負けたくないからでもある。けど、それだけじゃないんだろうな」 「何が」 「この仕事で、ちゃんと自分の形を残したい。たぶん、お前も同じだ」 遥香は少し目を見開いた。触れただけで、相手の中の言葉にならない部分まで手に取るように分かってしまう。怖いのに、嫌じゃない。 「……分かったようなこと言わないで」 「分かった気になるのは嫌いだ」 健太はそう言って、針を取り直した。 「でも、今なら言える。お前の執念、嫌いじゃない」 遥香の頬がわずかに熱を帯びる。すぐに顔を逸らしたが、指先まで伝わってくる感覚は隠せなかった。 「そっちだって、焦りすぎ」 「お互いさま」 肩を寄せたまま、二人はまた作業へ戻る。機械の低い唸りの中で、手元だけが妙に鮮明だった。触れ合うたびに、疲労も緊張も隠せない。けれど今は、それが相手の本気の証拠に思えた。 遥香は糸を切り、完成へ近づいた布地を持ち上げる。 「ねえ、健太」 「なんだ」 「……ちゃんと、私のこと見てたんだ」 健太は少しだけ目を伏せてから、静かにうなずいた。 「ずっと見てた」 その返事に、遥香は悔しそうに笑った。机の上には、まだ直すべき場所がいくつも残っている。けれど二人のあいだに流れるものは、さっきまでとはもう違っていた。

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