午前の光がまだ白く床に残っているリハビリ室で、陽菜はベッドの端に座ったまま膝を少し伸ばした。宗介が筋力回復のための施術だと告げ、腿の位置を確認する。相変わらず無駄のない手つきなのに、今日は妙に気になった。指先が肌を押さえるたび、あの鈍い重さが自分の中で小さく波打つからだ。 「力、抜いてください」 「抜いてる。……たぶん」 「たぶん、は困ります」 淡々とした返しに、陽菜は口を尖らせた。その拍子に、宗介の手首が視界に入る。白衣の袖口から覗いたそこに、薄く白い線が走っていた。古い傷跡だ。一本ではない。いくつか重なって、時計の針みたいに肌を横切っている。 「ねえ、それ」 「何ですか」 「手首。傷、あるじゃん」 宗介の指が、ほんの少し止まる。 「昔のものです」 「昔って、いつ」 「必要ですか」 「必要。だって、気になるし」 言い切ると、宗介は視線を逸らした。いつもの冷たさとは違う。触れられるのを避けるみたいな、ぎこちなさがあった。 「家族のことで、少し」 その言い方は、説明というより欠片だった。陽菜は施術の痛みを忘れ、息を潜める。 「……何があったの」 「支えられなかった」 低い声が、白い室内に落ちる。宗介はそれ以上続けようとせず、膝を支える手にわずかに力を込めた。 「自分が何とかするしかないと思った。そうしないと、また間違える」 「間違えるって」 「医師として、です」 その一言だけで、背筋に冷たいものが走った。冷たさではなく、必死さだった。宗介は無表情のままなのに、言葉の端々だけが妙に震えている。 「間違えないことだけを、支えにしてきました」 「それ、全然支えになってないじゃん」 思わず言うと、宗介は小さく息を吐いた。否定しない。その沈黙が、逆に答えだった。 陽菜は見上げた。冷たい人だと思っていた。けれど違う。突き放していたんじゃない。近づけば崩れる何かを、必死で腕の中に押し込めているだけだ。 「先生、怖かったんだ」 「……怖いかどうかは」 「怖いでしょ。だからそんな顔する」 指摘すると、宗介のまぶたがわずかに揺れた。ほんの一瞬、傷跡を隠すみたいに手首を引く。その仕草が、急に痛々しく見えた。 陽菜は膝に残る熱を感じながら、ゆっくり息を吸う。知りたかったのは、単なる秘密じゃない。彼が人を遠ざける理由だった。冷たさではなく、自己防衛。そう思った途端、胸の中で何かが静かにほどける。 「……もう、嫌な人だって決めるのやめる」 「そうですか」 「ちょっとは安心していいんじゃない?」 宗介は返事をしなかった。けれど、手首を隠す白衣の袖が、さっきより少しだけ落ち着いて見えた。陽菜はその変化を見逃さなかった。リハビリ室の静けさの中で、彼の冷たさが無関心ではないと知ってしまった以上、もう前と同じ目では見られない。
共感覚クリニック
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