エラベノベル堂

共感覚クリニック

全年齢

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6章 / 全10

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病院を出たはずなのに、夜気の冷たさはまだ袖口に残っていた。陽菜は店先の赤い提灯を見上げて、ここが本当に病院の近くの小さな居酒屋なのだと遅れて実感する。今日はリハビリの区切りだと、誰が言い出したのかはもう曖昧だった。けれど、目の前の湯気と、宗介の少しだけ疲れた横顔が、妙に現実的だった。 「乾杯、でいい?」 「まだ治療は終わっていません」 「そういう真面目なとこ、今は置いといて」 陽菜が笑ってグラスを掲げると、宗介はため息のような息を漏らしてから、静かにそれに合わせた。口をつけた瞬間、身体がふわりと緩む。店の明かりとアルコールの熱で、さっきまで抑えていたものが少しだけほどけた。 「陽菜さん、顔が赤いです」 「少しだけ。大丈夫」 「大丈夫じゃなさそうですが」 「うるさいなあ」 軽く肩をぶつけたつもりだった。けれど、その瞬間、陽菜の中に宗介の鼓動が流れ込む。早い。けれど乱れてはいない。その下に、息を殺していたような緊張がある。さらに深くたどるみたいに意識が沈み、抑え込んできた熱が、胸の奥でかすかに揺れた。 息を呑む。彼の中に、こんな欲求があったのかと知ってしまうだけで、頬の熱が一気に上がる。 「っ、宗介……」 呼び捨てにした自分に、陽菜自身が驚いた。宗介もまた、はっきりと目を見開く。彼のほうにも、陽菜の熱と不安が流れ込んでいるのだろう。隠したつもりの焦りまで、たぶん全部。 「……出ましょう」 「え、今?」 「これ以上は、よくありません」 それが何を指すのか、言葉にしなくても分かった。宗介は急に立ち上がると、陽菜に手を差し出しかけて、途中で止める。触れればまた、何かが一気に繋がってしまう。なのに、拒むみたいに引っ込めた手が少しだけ震えていた。 外に出ると、夜の空気は鋭くて、熱を持った頬にはちょうどよかった。二人並んで歩くでもなく、離れすぎるでもなく、店の壁際に寄りかかる。車の音が遠くを流れていった。 「……さっきの、変なこと考えたでしょ」 陽菜が小さく言うと、宗介は視線を落としたまま答えない。 「考えてません」 「嘘」 「嘘ではありません」 その返しが、かえって怪しい。陽菜は笑いそうになって、でも笑えなかった。彼の横顔に触れずとも、鼓動の早さがまだ伝わってくる。自分も同じだと分かるから、余計に困る。 「ねえ、宗介」 「何ですか」 「今日は、帰る前にここに出てきて正解だったね」 宗介はしばらく黙っていたが、やがて小さくうなずいた。 その頷きに、陽菜はほっとする。店の中よりも、外の冷気のほうがずっと安全だと思えるのは変だった。けれど今は、互いの熱を持て余したまま、並んで息を整えるしかなかった。

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