朝の光は、古い廊下の細かな傷までやけにくっきり浮かび上がらせていた。健人は片手に結んだゴミ袋を下げ、まだ寝起きの頭のままドアを閉める。生ぬるい空気の中、階段へ向かうより先に、彼は一度だけ肩を回した。壁越しの静けさが残っている。昨日と同じ、何も起きていないはずの朝だった。 それなのに、廊下の角を曲がった瞬間、胸の奥が妙にざわついた。 向こうから来たのは、同じように少し眠たげな顔をした女の子だった。手には小さな袋。目が合った、そのはずだった。けれど、互いに言葉を失ったまま、ほんの一歩ぶんの距離で立ち止まる。 まどかもまた、足を止めていた。見知らぬはずなのに、相手の輪郭を見た途端、胸の奥がきゅっと鳴る。昨夜まで夢の中で触れていた誰かに、似ている。そう思っただけで、頬が熱くなった。 「えっと……」 健人が何か言いかける。だが続かない。彼も同じく、はっきりした既視感に縛られていた。初めて会うのに、初めてじゃない。そんな馬鹿げた感覚だけが、妙に確かだった。 まどかは小さく会釈した。会釈はできたのに、声は出ない。夢の中では、あんなに自然に笑えたのに。目の前の現実は、狭い廊下の幅さえ持て余すほどぎこちない。 健人も短く頭を下げる。すれ違うだけなら、それで終わるはずだった。だが、歩き出した瞬間、どちらも同時に振り返りたくなる。けれど振り返らない。振り返れば、何かが壊れてしまいそうだった。 まどかは階段へ向かう途中で、そっと息を吐いた。 「今の……」 自分でも聞こえないほど小さい声だった。知っている感覚だけが、やけに胸に残る。 健人も廊下の先で立ち止まり、ゴミ袋を持つ手に力を入れた。 「なんだ、あれ」 誰に向けたでもない呟きが、静かな壁に吸い込まれる。 狭い廊下は、ほんの一瞬で元の無機質さに戻っていた。けれど、通り過ぎたはずの温度だけが消えない。夢の中であれほど近かった相手と、現実では名前ひとつ交わせない。その落差が、二人の胸の奥にひっそりと沈んでいく。
シェアドリーム
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