雨の音は、古い玄関の上で細かく跳ねていた。まどかは傘をたたみながら、濡れた袖口を気にして足早に廊下へ入る。朝から慌ただしく、頭の中は買い物のメモと時計の針でいっぱいだった。だから、ドア前の小さな金属のかたまりを拾い上げたときも、深く考えなかった。 「あれ……」 見覚えのある鍵だと思った。いや、正確には見覚えがあるような気がした。昨日まで何度も触れていた自分のものと、輪郭がとてもよく似ている。まどかはそれをポケットに入れたまま、隣室と間違えた扉の前に立っていることにも、まだ気づいていなかった。 鍵穴が合う。かちり、と軽い音がして、ドアは素直に開いた。 「え……」 一歩入った途端、まどかは違和感に足を止める。狭さも匂いも、いつもの自室とどこか違う。なのに、雨で鈍った思考がうまく追いつかない。靴を脱いだ先に広がっていたのは、見慣れたはずの配置ではなく、少しだけ生活感の濃い部屋だった。 そして、奥のベッドに人がいた。 「うそ……」 思わず息が漏れる。眠っているのは男の人だった。見知らぬはずなのに、顔を見た瞬間、まどかの胸の奥が強く鳴る。夢の中で何度も聞いた低い声が、耳の奥でよみがえった気がした。 その人はまだ目を閉じたまま、静かに呼吸している。濡れた雨音と、部屋の中の静けさが重なって、世界がひどく遠く感じられた。 まどかはベッドのそばで、そっと立ち尽くす。心臓が速くなるほど、夢のぬくもりが現実の空気と溶け合っていく。あの手の熱、あの間合い、触れたときの確かな感触。全部が、目の前の眠る誰かへ一本の線でつながっていく。 「健人……?」 名前を知らないはずなのに、口が勝手にそう動いた。違うかもしれない。けれど、違うと言い切れなかった。 眠る男の横顔は、廊下ですれ違ったときの既視感より、ずっと鮮明だった。壁一枚の向こうにいたのは、ただの隣人ではなかったのかもしれない。そう思った瞬間、夢で感じた温度が、たしかに現実へ重なりはじめる。 まどかは息をのみ、次の一歩を踏み出せずにいた。
シェアドリーム
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