「え、ちょっと待って」 颯真がスマホを覗き込んだまま、声を裏返した。共用スペースのソファは、夜の寮らしく妙に静かで、冷蔵庫のうなる音だけが遠くにある。テーブルの上には湯気の消えた紙コップと、充電器に繋がれた端末が二つ。明日香はクッションを抱えたまま、首を傾げた。 「なに、壊れた?」 「壊れてない。むしろ、壊れてるのはこっちの常識」 晴が眉を寄せて画面をのぞく。再生数の数字が、さっき見たときより明らかに増えていた。しかも、投稿したはずの共演動画ではなく、その一部だけを切り抜いた短い映像が、あちこちで広がっている。 湊介は無言で別の画面を開き、コメント欄を見て目を瞬いた。 「……熱量が、すごいですね」 「熱量って言葉で済むかよ」 颯真が笑う。 「見ろよ、これ。『一瞬で空気が変わった』『音の重なり方が気持ちいい』だって」 晴も画面越しに流れる言葉を追いながら、少しだけ息を止めた。 「ちゃんと、聴かれてるんだな」 明日香は画面を覗き込んで、ぱちぱちと瞬きをした。 「へえ。なんか、照れるね」 「照れるで済むのかよ」 「だって、変なことは書かれてないし」 その言い方に、三人は一瞬だけ笑った。だが、笑い切ったあとに残るものがあった。見られている。知らない誰かが、自分たちの呼吸の揺れまで拾っている。その事実は、うれしいはずなのに、どこか落ち着かなかった。 颯真がソファの背にもたれて、天井を仰ぐ。 「いや、うれしいよ。うれしいんだけどさ。なんか、次から気にしそうじゃない?」 「何を」 晴が聞き返す。 「誰かに見られてるって思ったら、変に意識するだろ。近くに立つのとか、視線合わせるのとか」 湊介は小さく頷いた。 「演奏が変わるかもしれません。良い意味でも、悪い意味でも」 明日香は膝の上で指を組み、少しだけ口を尖らせた。 「私は、見られるのは平気だけど……みんなが気にし始めるのは、ちょっと困るかも」 「困る、って」 晴が問う。 明日香は曖昧に笑った。 「だって、さっきまでのままじゃなくなる気がするから。ほら、あの感じ。自然に近くなれる感じ」 その一言で、部屋の空気が微かに静かになった。誰もはっきり言わないのに、同じことを考えているのがわかる。注目されるのは悪くない。けれど、誰かの視線を意識した瞬間、あの不用意なくらい自然な距離が、少しだけ遠のくかもしれない。 晴は端末を伏せた。 「……まあ、今さら引けないけどな」 「引く気だったの?」 颯真がすぐに突っ込む。 「そうじゃない。けど、変に型にはめられるのは嫌だ」 湊介は静かに画面を閉じる。 「同感です。僕たちの音は、まだ固まっていない。だからこそ、外からの見え方に引っ張られすぎるのは怖い」 明日香はその言葉を聞いて、ふっと表情をやわらげた。 「じゃあ、気にしすぎないで、またいつも通りやればいいよ」 「いつも通り、ね」 颯真が苦笑する。 「もうその“いつも”が普通じゃないんだけど」 誰かが笑い、誰かが肩をすくめる。コメント欄では、演奏の熱を讃える声が次々に増えていく。けれど四人の視線は、いつのまにか端末ではなく、互いの顔に戻っていた。 晴は思う。見られることで、今まで気づかなかったものまで変わってしまうかもしれない。 颯真は思う。だからこそ、怖がって止まるのは違う。 湊介は思う。注目は追い風にもなるが、呼吸を乱す風にもなる。 明日香だけが、画面よりも三人を見て、いつものようにあっさり言った。 「でもさ。見られてるってことは、ちゃんと届いたってことでしょ」 その一言に、誰もすぐ返せなかった。うれしさと不安が、同じ場所でほどけないまま揺れている。ソファの上で交わる視線の先に、切り抜き動画の明るい再生画面がまだ小さく光っていた。
共鳴レジリエンス
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