「……これだ」 陸の声は、奥の小部屋に落ちたまま、やけに低く響いた。結は肩越しに覗き込み、古い黒箱の蓋を見つめる。埃をかぶった布を外すと、そこには祖母の手帳が静かに眠っていた。 「ほんとに隠してあったんだ」 「帳簿の中に紙片を挟むくらいだからな。相当、大事だったんだろ」 結は手を伸ばしかけて、いったん止めた。祖母の字に触れるのが、少しだけ怖い。けれど陸が何も言わずに隣へ立ったことで、迷いは薄れた。 手帳を開くと、紙の端がかすかに鳴る。何十年も前の空気が、ふわりとほどけた気がした。最初の頁は商いの記録ばかりだったが、ある日付のところで、結は息を呑む。 「ねえ、これ……」 そこには、祖母の文字の横に、もうひとつ別の筆跡が重なっていた。結の名前。そして、その隣に陸の名前。 「うそ……なんで、私たちの名前が」 陸も目を見開いたまま、言葉を失っている。何度も書き直したみたいに線が重なり、日付の下には短い一文が添えられていた。 会えたことを、証に残す。 結の喉が詰まった。 「これ、誰が……」 「たぶん、祖父さんだ」 陸が慎重に答える。結はページをめくる指先を震わせた。次の頁にも、同じような記録が続いている。長い間、誰にも見せずにしまわれていたことが、逆にその重さを伝えてきた。 「愛の、証……?」 結が呟くと、陸は小さく息を吐いた。笑ったのか、戸惑ったのか、自分でもわからないみたいな顔だった。 「そんな大げさなもんを、こんなところに隠すか普通」 「でも、隠したかったんじゃなくて……守りたかったのかも」 その言葉が落ちた途端、部屋の静けさが一段深くなる。祖母が残した手帳は、ただの商売の記録じゃない。家族の時間を、誰にも壊されない場所に置いていたみたいだった。 結はページの文字を見つめたまま、胸の奥がじわじわ熱くなるのを感じる。店を継ぐ理由なんて、まだはっきり掴めていなかった。けれど今は、祖母の想いが自分の足元まで確かに届いている。 「……あたし、ここに戻ってきたのって、偶然じゃないのかな」 陸はすぐには答えなかった。ただ、手帳の上に落ちた結の指先を見て、それからゆっくり顔を上げる。 「少なくとも、紙はそう思ってないらしい」 「なにそれ」 「おまえの名前まで残ってるくらいだ。もう逃げられないだろ」 からかうみたいな声なのに、妙にやさしかった。結は少しむっとして、それでも笑ってしまう。 見上げた陸の表情は、いつもの無表情に近いのに、どこか落ち着かなかった。結はふと気づく。この記録を見つけたのは、自分だけじゃなくてよかったのだと。ひとりで受け止めるには、あまりにも家族の歴史が濃すぎる。 「ねえ、陸」 「ん?」 「これ、もう少し見てもいい?」 陸は短くうなずき、手帳を支えるようにそっと手を添えた。二人の影が小部屋の床に重なり、古い頁の上で静かに揺れていた。
記憶を染める和紙
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