エラベノベル堂

記憶を染める和紙

全年齢

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6章 / 全10

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蔵の中は、昼間よりずっと深く息を潜めていた。戸の隙間から漏れる灯りだけが、積み重なった箱の角をかすかに照らしている。結は慎重に和紙の束を抱え直し、向かい側で陸が埃を払うのを見た。 「こんな奥まで入ってたんだ」 「見つけたのはおまえだろ」 「でも、これ、ただの紙じゃないし」 結が苦笑すると、陸は小さく肩をすくめた。 机に並べた束を一枚ずつめくるたび、紙の表面にかすかな揺らぎが走る。墨を置けば記憶が浮かぶ紙。その中には、誰かの声にも似た断片がひそんでいた。若い頃の祖母の手元、祖父が笑った気配、店の帳面に残らない細かなやり取り。二人はそれらを慎重に拾い上げていく。 「……あ」 結が息を呑んだ。最後の一枚に、祖母のものらしい筆跡が滲んでいる。読むというより、思い出がこちらへにじんでくるみたいだった。 残すことは、閉じ込めることじゃない。託すこと。 短い言葉が、静かに胸へ落ちる。 「これ、祖母が書いたの?」 「たぶんな。わざと隠してたんだろ」 陸は紙を持ち上げ、灯りに透かした。そこには、店の未来に触れるような断片がいくつも重なっている。誰に見せるでもなく、けれど確かに次へ渡すための記録だった。 結はしばらく黙っていた。見れば見るほど、紙の中に詰まっている情報が増えていく。祖母の思い、家族の歴史、祖父の気配、それら全部が一斉に押し寄せて、頭の中が追いつかない。 「……多すぎる」 「結?」 「こんなの、あたし一人で抱えきれない」 声にした途端、胸の奥がひやりとした。 結は紙の束を見下ろす。祖母の店を継ぐのは、自分だけでよかったんじゃないか。東京から戻ったのも、血筋も、責任も、全部自分ひとりで受け止めるためだったのかもしれない。陸と一緒にやると決めたはずなのに、その考えが急に重くのしかかってきた。 「陸」 「なんだ」 「……あたし、ほんとは、継ぐのは自分だけでいいんじゃないかって、少し思った」 陸の手が止まる。 「なんで今さら」 「だって、これは祖母の店で、祖母の記憶で。あたしが戻ってきたのも、勝手に巻き込んだのも、全部……」 言い切る前に、喉が詰まった。共同経営という言葉が、急に形を失う。隣にいる陸の温度が、さっきまでより遠い。 陸はすぐには否定しなかった。ただ、散らかっていた紙束をそっと揃え直した。 「巻き込まれたって顔はしてないくせに」 「してないし」 「してる」 いつもの調子で返されて、結は思わず顔をしかめる。けれど、その軽口が今は少し痛かった。 「……でもな」 陸が低く続ける。 「一人で抱える顔じゃない。おまえ、もう気づいてるだろ」 結は返せなかった。蔵の静けさの中で、紙の束だけがやけに存在感を増す。 祖母は、きっと分かっていたのだ。二人で触れれば見えるものがあることも、ひとりでは抱えきれないほど記憶が増えることも。 結はゆっくり息を吐いた。 「……今は、まだ答えが出ない」 「それでいい」 陸の声は驚くほど穏やかだった。 「逃げるなら、ちゃんと考えてからにしろ」 「逃げるって決めたわけじゃない」 「なら、なおさらだ」 結は唇を噛み、最後の一枚に目を落とした。記憶をたどるたび揺らぐ気持ちを、どう扱えばいいのかまだわからない。けれど、祖母が秘密の記録を残した理由だけは、少しわかった気がした。過去を暴くためじゃない。失われかけた想いを、今に渡すため。 紙の束を抱え直すと、陸が無言で反対側を支えた。二人の指先が一瞬だけ触れる。 その小さな接触だけで、結はまだ言葉にできない不安と、離れたくない気持ちの両方を抱えたまま、次の一枚へ視線を落とした。

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