エラベノベル堂

記憶を染める和紙

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7章 / 全10

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空が白みきる前の川沿いは、まだ眠っているみたいに静かだった。結はマフラーを握り直し、並んで歩く陸の横顔をちらりと見る。 「で、再建計画って、結局なにから始めるの」 「まずは店の見せ方を変える。紙の価値を、記憶の不思議だけにしない」 陸は歩幅を変えずに言った。 「商品として整えて、ちゃんと売る。続けるなら、そこは避けられない」 「……あたしは、売るためだけの店にしたくない」 結の声が少し強くなる。川面に薄い朝の色が落ちて、言葉の輪郭まで冷たく見えた。 「祖母の記録を守ることが先でしょ。全部を使って目立てばいいわけじゃない」 「守るだけじゃ縮む。誰にも届かないまま終わるほうが、よっぽど怖い」 「そんなのわかってる。でも、急ぎすぎたら壊れるじゃん」 「壊れるのが怖くて何もできないのか」 陸の言い方が、思ったより鋭かった。結は足を止め、振り返る。 「今、なんて」 「聞こえただろ」 「聞こえたから腹立ってるの」 「じゃあ言い直す。止まってたら、この店は本当に終わる」 「終わらせたくないから言ってるんだよ」 二人の声が、薄い空気を裂いた。鳥の気配だけが遠くで揺れる。結は拳を握りしめ、陸もまた視線を逸らさない。 「陸って、なんでも一人で決めたがるよね」 「おまえこそ、背負う話になると急に頑固になる」 「それ、今言う?」 「今しかない」 言い返そうとして、結はふと息を呑んだ。陸の声の奥に、妙な硬さが混じっている。怒りじゃない。別の、もっと古い痛みだ。 「……なんでそこまで焦るの」 陸はしばらく黙っていた。川風がシャツの袖を揺らし、ようやくその口が開く。 「家のこと、ずっと見てきたからだ」 「家のこと?」 「俺の家、あの店がなくなるのを、どうにもできなかった」 結は瞬きをした。 「昔、親父が倒れて、家の商いは縮んだ。継ぐはずだったものも、守るはずだったものも、全部中途半端になった。俺は何もできなかった」 いつものぶっきらぼうな声が、少しだけ揺れる。 「だから、今度こそって思った。でも、また何もできないまま終わるのが怖い。結に任せきりになるのも、逃げるみたいで嫌だ」 結は言葉を失った。陸がそんなふうに家族のことを抱えていたなんて、考えたこともなかった。 「……そういうの、先に言ってよ」 「言えるわけないだろ」 「なんで」 「弱いところを見せるの、慣れてない」 陸は苦く笑った。けれど、その顔にはもう隠しきれない孤独がにじんでいた。 結は胸の奥が痛くなるのを感じた。自分は何を見ていなかったんだろう。隣に立っていたのに、陸の足元にある影の長さを見落としていた。 「……ごめん」 ぽつりと落とすと、陸が眉を寄せた。 「なんでおまえが謝る」 「だって、見落としてた」 「見落としてたのは俺もだ。言わなかった」 結は首を振り、川面を見た。白んだ空の下で、水だけが静かに流れている。 「でも、あたし、今わかった。陸が焦るの、ただ急かしたいからじゃなかったんだ」 「……遅い」 「うるさい」 言い合いはまだ終わっていないのに、不思議とさっきほど刺々しくなかった。結は深く息を吸う。 「一人で抱えないで。あたしも、ちゃんと見るから」 陸はすぐ返さなかった。けれど、目を逸らさないまま小さくうなずく。 川の向こうで、朝が少しだけ濃くなる。言い争った熱は残ったままなのに、二人の間には、もうさっきまでの見えない壁はなかった。

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