夕暮れの裏庭は、昼の草原よりずっと現実的だった。湯気の立つ桶、干された布、洗い終えた木箱。旅館の裏手らしい雑然とした景色の中で、真斗は腕まくりをしたまま荷を抱え直した。 「……これ、本当に私の仕事ですか」 「昨夜の代償、ってやつだね」 女将が笑いながら指先で帳面を叩く。真斗は思わず眉を寄せたが、言い返す前にさらに荷物を差し出された。 「旅費の追加分を、少し手伝いで補ってもらうだけですよ。勇者さまなら、すぐ終わります」 「勇者さま便利すぎません?」 「便利でなにより」 からりとした返事に、真斗は小さくため息をつくしかない。だが、そこへ湊大が真っ先に動いた。 「それ、重いですよね。俺が上を持ちます」 「いや、俺が行く」 章仁が即座に割って入り、真斗の手元から箱を受け取る。無駄のない動きで、肩にかかる重さを見事に消してしまった。 「章仁、早いって」 「遅いと危ない」 「危ないのは運搬なのか、真斗さんの顔なのか」 陸玖がにやりと笑い、抱えた袋を軽々と担ぎ直す。軽口は多いのに、階段の段差や足元の水たまりまできちんと見ているのが腹立たしい。 真斗は周囲を見回した。湯上がりの客へ案内をする湊大は、困っている老人にまっすぐ腰を落として声をかけている。陸玖は行き先を尋ねられるたび、冗談を混ぜて場をやわらげる。章仁は黙って先回りし、重い荷を一人で引き受ける。 同じ手伝いでも、やり方がまるで違う。 「……あんたたち、息が合ってるのか合ってないのか分かりませんね」 「褒めてるなら受け取る」 湊大が振り返る。 「褒めてません」 「でも助かってるだろ」 陸玖が肩をすくめた。 真斗は言い返そうとして、別の客に呼ばれて足を止めた。湊大が自然にその客へ向かい、案内の言葉を引き取る。そこへ女将が新しい盆を差し出すと、章仁が黙って受け、陸玖が空いた手で真斗の前へ道を空けた。 「あれ、今の私、完全に置いていかれてません?」 「置いてないよ。真斗さんが動きやすいようにしてるだけ」 陸玖の声は軽いのに、妙にまっすぐだった。 真斗は盆の端を持ちながら、胸の奥が少しだけ静かになるのを感じた。誰か一人に任せるやり方ではない。正面から支えてくる者と、空気を変える者と、黙って負担を消す者。その全部に、自分はいつの間にか助けられている。 気づけば、荷運びの列はすっかり短くなっていた。 「真斗」 章仁が短く呼ぶ。 振り向くと、彼は何も言わずに真斗の手元へ軽い木箱を押しつけた。重くない。けれど、ひとりで抱え込むにはちょうどいい大きさだ。 「これなら持てるだろ」 「……最初からそう言ってください」 「言ったら自分で持つだろ」 「当然です」 「だから黙ってた」 理屈はひどく乱暴なのに、真斗はなぜか笑ってしまいそうになった。 湊大がそれに気づいて、少しだけ目をやわらげる。 「無理して背負わなくていい。今日は、そういう日だ」 陸玖は肩の布袋を揺らし、にっと笑った。 「ほら、勇者さま。ひとりで全部やる顔してないで、ちゃんと頼って」 真斗は木箱を抱え直し、ふっと息を吐いた。 「……それは、ずるいでしょう」 誰に向けた言葉だったのか、自分でも分からない。ただ、裏庭に満ちる忙しない音の中で、三人の気遣いだけがやけに鮮明だった。真っ直ぐな手、空気をほどく声、無言で守る背中。そのどれもが、今の自分には必要だったのだと、ようやく分かってしまう。 真斗は木箱を抱えたまま、三人の背を見た。支えられているのに、嫌ではない。むしろ、その優しさの違いが、胸の奥を静かに満たしていく。
異世界ドリンク
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