「……ここ、ほんとに寝るだけの部屋かよ」 荷物を置いた俺は、壁際のベッドを見て苦笑した。リンク付き住宅の寝室は、広いのに落ち着かない。照明は柔らかいはずなのに、白い壁が妙に目に痛い。背後で彼女が小さく息をついた。 「文句があるなら、管理局に言って」 「言えるなら言ってる」 彼女は髪を払って、ベッドから一番遠い椅子に腰を下ろした。その動きだけで、今日はこれ以上近づく気がないとわかる。だが、扉が閉まった瞬間から、空気の端に引っかかるような細かなざわめきがあった。誰かのため息みたいで、いや、たぶん彼女自身のものだ。 「……眠いのか」 「別に」 即答が速すぎる。俺はベッドに座り、両手を膝の上で組んだ。沈黙が続く。けれど沈黙は静かじゃない。彼女の不安が、糸くずみたいにこちらへ漂ってくる。強いものじゃない。むしろ、表面を撫でる程度の微細なノイズだ。それでも、耳鳴りみたいに頭の奥へ残る。 「無理してないか」 「してない」 「してる顔だ」 彼女がこちらを睨む。けれどその目の奥は揺れていた。 「あなたこそ、平気そうなふりしてる」 「ふりじゃない。たぶん、慣れてないだけだ」 「何に」 「誰かと同じ部屋にいるのに、置いていかれないことに」 言ってから、少しだけ後悔した。重すぎたかと思ったのに、彼女は目を逸らしたまま黙り込む。その沈黙は、怒りではない。触れられるのを避けるみたいな、薄い防壁だった。 やがて彼女がぽつりと言う。 「私も、落ち着かない」 「そうか」 「変な言い方しないで」 「じゃあ、どう言えばいい」 彼女は答えず、膝を抱えた。さっきまで張り詰めていた肩が、ほんの少しだけ下がる。リンクの向こうで、かすかな温度が伝わった。強がりの裏にある疲れだ。 「今日は、会話しなくてもいい」 俺がそう言うと、彼女は驚いたように顔を上げた。 「……気を遣ってるの」 「違う。俺も、今は余計なことを言うと眠れなくなりそうだから」 それで初めて、彼女の口元がわずかに揺れた。笑ったのか、ため息なのか、自分でもわからない顔だ。 「妙な人」 「今さらだろ」 「そうね」 短く返して、彼女は椅子の背にもたれた。まだ警戒は解けない。それでも、さっきより部屋の空気は少しだけ柔らかい。互いに見えない何かを抱えたまま、無理に踏み込まない距離。 眠れない夜は続きそうだった。けれど、ひとりで耐える夜とは違う気がした。 彼女が視線を落とし、静かに言う。 「……明かり、少し落として」 「わかった」 照明を半分ほど絞ると、寝室の輪郭がやわらいだ。彼女はそれを確かめるように目を細める。リンク越しに、ほんのかすかな安堵が触れた。 俺はベッドに横になり、天井を見上げた。 「おやすみ」 返事はすぐには来なかった。けれど少しして、闇に溶けるみたいな声が落ちる。 「……おやすみ」 その一言だけで、彼女もまだ眠れていないのだとわかった。なのに、さっきまでの鋭さはもうない。 同じ部屋で、同じ夜を越える。たったそれだけのことが、妙に大きな一歩に思えた。
シンクロニシティ・オーバー
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