エラベノベル堂

シンクロニシティ・オーバー

全年齢

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8章 / 全10

「……何だ、これ」 俺は検証ルームの中央に立ったまま、息を呑んだ。浴室前で整えたはずの呼吸が、ここに入った途端、薄い膜みたいに震える。壁際の計測灯が静かに明滅し、彼女の存在が近いだけで、空気の密度が変わっていくのがわかった。 「何か変?」 彼女は平然を装っている。けれど、指先が微かに握られていた。その緊張を見た瞬間、胸の奥に答えの欠片が落ちる。 「変なのは、俺のほうかもしれない」 「は?」 「ずっと不適合だと思ってた。でも違う。俺は、弾かれてたんじゃない」 言葉にした途端、背筋が粟立った。彼女がこちらを見上げる。瞳の奥で、何かがきしむように揺れた。 「何を言ってるの」 「お前の力を、引き出してる。たぶん、完全に同期させる側だ」 自分でも信じきれないのに、口にすると妙にしっくりくる。彼女はすぐに否定しようとしたが、その前にリンクが跳ねた。遠慮していた波が、堰を切ったみたいに押し寄せる。 「やめて……」 そう漏れた声は、怒りじゃない。抑え込んできたものが、初めて震えた音だった。 次の瞬間、彼女の中に閉じ込められていた感情が、一気に流れ込んできた。暗い部屋で膝を抱えた夜。誰にも拾われないまま積もった焦り。期待されるたびに息を潜めた記憶。強くあろうとするほど、誰にも触れられなくなった孤独。 俺は息を止めたまま、その全部を受けた。 「……こんなに、重かったのか」 「見ないで」 「見てるんじゃない。受け取ってる」 彼女は首を振った。だがもう遅い。封じていた感情は、壊れるためではなく、ようやく名前を得るために溢れていた。 「私は、最初から一人だったわけじゃない」 掠れた声が、検証ルームに落ちる。 「近づくたびに、誰かの感情だけが増えていった。触れるほど苦しくなるから、閉じた。閉じれば、少しは自分でいられた。でも……」 そこで彼女は言葉を切った。唇が震えている。俺は一歩だけ近づく。今ならわかる。近づくほど、彼女は壊れるんじゃない。壊れないために、ずっと耐えていたんだ。 「でも、何だ」 「誰かに、ただ……わかってほしかった」 その一言で、胸の奥が痛んだ。彼女の孤独は、強さの裏に隠された弱さじゃない。誰にも渡せず、ひとりで抱え込むしかなかった根の深い痛みだ。 「なら、もう隠さなくていい」 「簡単に言わないで」 「簡単じゃない。けど、今なら届く」 彼女は俯いたまま、震える手で胸元を押さえた。リンク越しに、かつての記憶がまだ熱を持っているのがわかる。拾いすぎる感覚、近づけない夜、理解されないまま積もった疲れ。けれどそこに、ようやく別の感情が混じる。 安堵だった。 「……あなたが、受けるのね」 「受ける。壊れない程度にな」 「偉そう」 「今はそれでいいだろ」 彼女は小さく笑いかけた。泣きそうな顔で、それでも笑った。 検証ルームの灯りは相変わらず淡く、機材も無機質なままだ。それなのに、二人の間だけは、冷たい観測値では測れない温度で満ちていた。俺は初めて、自分の空白を恥じなかった。 不適合者じゃない。彼女を完成へ導く、適合因子。 その言葉が、静かに胸へ沈む。 彼女はまだ目元を伏せたまま、かすれた声で言った。 「……ねえ。私、やっと言えた気がする」 「何を」 「ひとりで閉じてた理由」 俺は答えず、ただ頷いた。彼女は深く息を吸い、震えを残したまま、もう一度こちらを見た。そこには怯えもある。けれど、それ以上に、長い孤独の底からようやく浮かび上がった顔があった。

8章 / 全10

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