谷あいの村は、夕方の斜光に包まれていた。石を積んだ家々の間を、痩せた川筋がかすかな音もなく抜けていく。水が減った、と聞いていたせいで、流れそのものよりも、流れていない静けさのほうがやけに目についた。 「ここまで来れば、村の人たちの話を聞くのが先ですね」 彼女が周囲を見回しながら言う。 「同感だ。だが、君と同じ窓口を使う気はない」 「私もです。先生のほうこそ、私の後ろをついてこないでください」 「その自信はどこから来るんだ」 「先に見つける自信です」 言い返しながら、僕たちは自然に別れた。彼女は広場の井戸へ、僕は村外れの納屋で薪を束ねていた老人のもとへ向かう。どちらも、話を引き出すには時間がかかる相手だ。だが、急かせば口は閉じる。そこは同じだった。 老人は僕の依頼書を一瞥すると、皺だらけの指で口ひげを撫でた。 「上のほうかい。ああ、村じゃ昔から言う。水は喉からじゃなく、山の気分で減るってな」 「気分で減る、ですか」 「冗談さ。だが、ここ最近は本当に急に細くなった。雨がないからじゃない。川が途中で息を潜めたみたいでな」 「原因に心当たりは」 老人は少しだけ目を細め、僕の背後を見た。 「洞窟だよ。上流の奥に、昔から口の悪い穴がある。あそこが塞がると、山の水は行き場を変える。そういう場所だ」 別の家で話を聞いていた彼女も、ちょうど広場へ戻ってきた。互いに視線を合わせると、同時に相手の成果を測る。 「どうでした、先生」 「洞窟だとさ。君は」 「似たようなものです。井戸端では、上流の奥に古い穴があるって。しかも、ただの穴じゃなく、昔から村が距離を置いてきたらしいですよ」 「距離を置く理由は」 「それを聞く前に、向こうが話題を変えました」 彼女は唇の端を上げた。 「でも、先生も同じでしょ。ここで掘りすぎると、相手が黙る」 僕は肩をすくめた。腹の底では、彼女の言う通りだと認めていた。 「つまり、ガイドの言葉を拾いながら、向こうの出方を見る必要がある」 「ええ。さっきの老人、私が村の古い水路について尋ねたら、わざと別の伝承を混ぜてきました。先生の顔を見たかったんでしょうね」 「君が先に何を聞いたか、試していた可能性もある」 「ありますね。だから面白いんです」 情報は少しずつ集まった。上流の洞窟。昔から敬遠される口。水が消えるのではなく、導かれているようだという村の感覚。だが、どの話も核心に触れかけるたび、誰かの視線がそこで止めに入る。 僕らは互いに相手の反応を見て、先を読む。彼女が老人の視線を拾えば、僕は言い回しの癖を拾う。こちらが踏み込めば、向こうも別の角度で踏み込む。まるで、言葉の上で地形図を奪い合っているみたいだった。 「先生」 「何だ」 「さっきの納屋の老人、あなたが上流の洞窟を知っていると気づいた途端、声を落としました」 「君のほうでも何かあったのか」 「ええ。私が水路の話を出したら、あの人、村の外から来た人間を警戒している顔をした。つまり、私たちのどちらかが突き抜ければ、もう片方も引きずられる」 「面白い言い方をするな」 「先生にだけは言われたくありません」 夕暮れが深まる。村の煙突から上がる薄い煙が、谷風にほどけていく。僕はふと、彼女が真正面から勝負を挑んでいるだけでなく、村そのものが閉じた情報を抱えていることを理解した。ならば、焦ってはいけない。だが、待つだけでも負ける。 「明日は、上流へ上がる前にもう少し聞く必要があるな」 僕が言うと、彼女はすぐに頷いた。 「ええ。ガイドが何を隠しているか、こちらから先に見抜きましょう」 「その言い方だと、僕が負けるみたいだ」 「まだ負けていませんよ。ですが、油断すると先に穴へ案内されるかもしれない」 彼女はそう言って、村の奥へ目を向けた。僕も同じ方向を見る。そこには、暗くなりかけた斜面と、言葉の届かない山の影が伸びていた。洞窟の入口はまだ見えない。だが、確かにそこにある。 僕は掌の中で地図を折り直した。 「なら、先に聞き出したほうが勝ちだ」 「ええ。今夜のうちに、相手の出方を読み切りましょう」
源流をめぐる競争
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