洞窟の内壁をかすめていた湿った風が、急に向きを変えた。さっきまで足元へ沈んでいた水音が、今度は右手の奥から跳ね返ってくる。僕は立ち止まり、前方の闇を凝らした。 「……流れが変わったな」 「ええ」 彼女がすぐに答える。 「地下水脈が枝分かれしています。今のまま進むと、暗渠に沿って行き止まりです」 足元には黒く細い水路が現れ、踏み跡の半分を塞いでいた。薄い膜のように広がる水面は静かなのに、そこへ足を入れれば迷いなく引き込まれそうな冷たさがある。 「迂回路は」 「上です。岩棚を伝えば、濡れずに越えられます」 彼女は壁際にしゃがみこみ、指先で岩肌をなぞった。薄い縞の入り方を見ているだけで、こちらより先に答えを出していく。 「この層、脆いようで、荷重を分散すれば持ちます。ここに足を掛けて、次はあの突起。先生、見えます?」 「見えている。だが、僕のほうが先に気づいていた」 「じゃあ、先に言えばよかったじゃないですか」 「君が言う前に、僕が言うつもりだった」 彼女は肩を震わせた。笑ったのではなく、笑いを飲み込んだのだとわかる。そのくせ、目だけは楽しげに細くなる。 「その言い方、負け惜しみみたいです」 「負けていない」 「なら、私のほうが先に正しいってことですね」 僕はロープを腰から解いた。濡れた石で足を滑らせれば、競争どころではない。だが、ただ安全策を取るだけでは癪に障る。壁の突起へ一端を回し、手早く結ぶ。 「張ったぞ。これで迂回の支えになる」 「へえ、やりますね。私なら、もう少し綺麗に巻きますけど」 「君のは飾りすぎる」 「先生のは実用一点張りです」 「褒め言葉として受け取っておく」 彼女がむっとしてこちらを見た。 「今の、褒められたくて言いました?」 「まさか」 「では、私の勝ちです。地質の知識で道を示したのは私ですから」 「いや、ロープを張って危険を減らしたのは僕だ」 「支えがなければ、示した道も使えません」 「案内がなければ、そもそも張る場所も決まらない」 言い合っているうちに、妙に息が合っていることに気づく。どちらも譲らないのに、結論だけは同じ方向へ転がる。 彼女は小さく鼻を鳴らし、先に岩棚へ手をかけた。 「じゃあ、半々です。先生がロープ、私が道」 「珍しくまともな提案だ」 「珍しくは余計です」 僕はロープを握り、彼女の動きを追う。彼女は足場の端を見極めるたび、ほんの少しだけ顎を引く。その仕草が、やけに目についた。危うい場所で踏み外さない真剣さと、勝負を譲らない意地。両方が混じっている。 「先生」 「何だ」 「今のは、少しだけ……役に立ちました」 「少しだけか」 「十分でしょう。褒めすぎると、先生が調子に乗ります」 「君も同じだろう」 「もちろんです」 彼女はそう言って、先に岩棚の向こうへ身を滑らせた。僕はロープの張り具合を確かめる。暗い水路の向こうで、水音が別の方向へ遠ざかっていく。道はまだ続いている。だが、これから先は、ただ先へ行くだけでは済まないらしい。彼女の背中を見送りながら、僕は静かに息を吐いた。褒める一言すら勝負になる。そんな厄介さが、なぜか少しだけ心地よかった。
源流をめぐる競争
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