エラベノベル堂

源流をめぐる競争

全年齢

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8章 / 全10

裂け目の縁に立つと、湿気が肌にまとわりついて息まで重くなった。足元では、細い岩の筋が闇の奥へと割れ込み、そこから吹き上がる冷たい気流が頬を撫でる。見下ろせば高さはある。けれど、後ろから追ってくる鈍い音が、そんな感想を悠長にさせてくれなかった。 「先生、落石です」 彼女の声がかすかに尖る。振り返ると、天井の崩れた破片が、まるで追い立てるように散ってきていた。 「分かっている!」 僕は身を伏せ、岩陰へ滑り込む。彼女もすぐ横に来たが、そこで互いに顔を上げた瞬間、同時に言葉を失った。 逃げ場がない。 裂け目の向こうへ渡るには、片手では足りない。だが、このままここにいれば、次の落石で進退を塞がれる。 「……先生」 「何だ」 「今だけは、先に行くとか言わないでください」 「言う余裕がない」 彼女が一度だけ眉を寄せる。それから、迷いを切り捨てた顔で岩肌に手を当てた。 「左の突起、見えますか」 「見える」 「私が先にあそこへ移ります。先生はその間、あの張り出しを押さえて。崩れたら終わりです」 「押さえるだけで済むなら、簡単だな」 「口だけは元気ですね」 そう吐き捨てながらも、彼女は本当に動いた。細い足場を信じられない速さで渡り、途中で一度だけ体勢を崩しかける。僕は反射で手を伸ばしたが、彼女はそれを見越していたらしく、わずかに身体をひねって突起へ指をかけた。 「危ない!」 「先生こそ、見ていてください!」 その声に、僕は張り出した岩へ肩を当てる。全体が小さく鳴った。湿った圧が骨にしみる。持て、頼むから持ってくれ。僕の力が伝わったのか、岩はぎりぎりで耐えた。 「今です!」 彼女の叫びに合わせて、僕も裂け目へ飛び込む。靴先が空を切る一瞬、彼女の手が伸びてきた。 掴まれた。 そのまま引き上げられる。普段なら決して認めたくないほど、彼女の腕は強かった。 「……助かった」 「お礼は後です。まだ終わっていません」 息を整える間もなく、二人で最後の段差を越える。背後でまた石が崩れ、暗い空間へ音を吸われた。 そして、そこにあった。 あまりに静かな、小さな泉だった。洞窟の奥に似つかわしくないほど澄んだ水面が、岩のくぼみにひっそりと溜まり、細い滴りだけを返している。僕も彼女も、しばらく言葉を失った。 「……これが」 彼女が息を呑む。 「最奥の、水脈」 僕はそう答えたが、胸の奥では別の鼓動が強く鳴っていた。ようやく辿り着いたはずなのに、勝ったという実感より先に、妙に落ち着いた空気が満ちている。 彼女も同じらしく、剣呑だった目つきが少しだけやわらいでいた。 「先生」 「何だ」 「今、少しだけ……綺麗だと思いました」 「珍しく、同意する」 言い終えたあとで、二人同時に泉へ視線を落とす。静かな水面は、こちらの勝ち負けなど最初から知らない顔をしていた。

8章 / 全10

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