エラベノベル堂

つながりを残すデータ

全年齢

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第9章 / 全10章

夜明け前のフロアは、空調の音だけがやけに大きかった。人のいない机の列を抜けて、自分の席に座る。まだ誰も来ていないこの時間なら、最後の確認に集中できる。俺はノートPCを開き、昨夜までに退避した全ファイルをもう一度順にたどった。 「これで、抜けはないはずだ」 独り言は、妙に広い空間に吸われていく。営業向けの一覧、調査向けの控え、バックアップ用の束。どれも保存した。けれど、ただ保存しただけで安心するには、あのサービスはもう少しだけ深かった。俺は一つの案内文を開き直す。Liza Selfの署名が入った、終了通知の末尾だ。 画面の下端までスクロールしたところで、指が止まった。ほんの小さな注記。誰も見落としてしまいそうな細さで、数行だけ空白に紛れている。 「……ここか」 そこには、終了手続きの説明とは別に、妙にやわらかな言葉が隠れていた。データを消すのではなく、関係を残してほしい。そんな趣旨が、規約でも案内でもない場所に、そっと置かれている。 俺は目を細めた。 「人と人のつながりを、か」 数字や件数だけを見ていたら、絶対に気づかなかった。会社名の並びも、重複した項目も、古い連絡先も、全部が単なる名簿じゃなかったんだ。誰かが会い、つながり、更新し、それでも残したもの。その積み重ねを、あの一文は静かに指している。 画面の光が、少しだけやさしく見えた。 「本当に残したいのは、データじゃなくて……」 言いかけたところで、言葉が喉の奥でほどける。答えはもう、わかっていた。けれど、ここで終わるにはもったいないほど、胸の奥が落ち着いている。 俺は保存フォルダを閉じずに、そのまま新しい空の一覧を開いた。まだ何も入っていない台帳は、まっさらで、けれど不思議と怖くない。 「次は、こっちで作るか」 窓の外が薄く明るみはじめる。誰かが来る前に、もう一度だけ全体を見直そう。残すべきは記録だけじゃない。ここから先につながる相手の名前も、俺たちの手で書いていけばいい。

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